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つれづれ

高山右近

26年7月27日 日曜日 晴 15時雷雨

午前中から暑かったですね。所用で出かけるが、出先で昼食して帰宅し、昼寝。雷の音で起きる。短時間でしたが凄い雨。若の部屋は窓を開けてあったし、バルコニーにはバスタオルを干してあった。二回目の雷で窓を閉めバスタオルを取り込む。かろうじてセーフ!バケツをひっくり返すとは言うけれど、凄い雨。

朝は意外と川の風が涼しく、若が起きて来るまで、バルコニーで本を読んで居た。
分厚い単行本と言えば、最近は直木賞受賞の「恋歌」を読んだだけで、連載の薄い小説はちょこちょこと読んではいたが、久しぶりに分厚い本を読み始めた。「高山右近」加賀乙彦著


ファン・バウティスタ・クレメンテという司祭が妹に出した手紙から始まります。(実在の手紙)
高山右近は現在、大河ドラマで生田斗真が演じているくらいなのでイメージとしてはイケメンだったのでしょう。
小説は未だ読みだしたばかりで、主人公は名前だけしか出ていない。

信長の時代が終わり、秀吉も晩年はバテレン追放令を出し、長崎で信徒の処刑をした。その後、家康も追放令を出して、右近はマニラに逃れるがそこで病死。
今、小説は天正遣欧使節団の四人のヨーロッパでの様子が描かれ、彼らが帰国し、秀吉の前で西欧音楽を演奏披露する場面です。壮大なスケールの小説と言えましょう。
もし、この手紙の翻訳通りなら、スペイン人の見た秀吉の表現が面白い。

利休の逸話のルソンの茶壺や山田長政のシャム王国等々、今ならバンコクまで飛行機で約7時間。当時は船で数カ月を要していた訳ですが、この時代でも日本人の海外の活躍が見え読みごたえがある。

秀吉が朝鮮出兵から陶工を連れて帰り、薩摩、唐津、高取、萩等で開窯したのは周知の通りで、いずれも茶陶として数百年の歴史を残します。
先日、稽古用に宗家から戴いた唐津の茶碗を生徒が落して罅が入った話しと金継修理した話しは書いたと思うが、五年も稽古で使っていたので茶渋が沁みて、知らない人には汚い茶碗と映る。
萩の茶碗もそうですが、所謂七化ですね。茶人はそれを賞翫するのです。

先の茶碗も、元々の姿と円相を描いた味わいが、金継と渋が付いた事で見事なまでに深みが出ました。
読み始めた本は視点が違うようで、茶道の話しがあるかは分かりませんが、高山右近も利休七哲の茶人です。

茶の歴史本(記録書、覚書のような)には右近の勧めで利休の妻、宗恩は信者として改宗したとあります。茶道では茶碗を清める茶巾がありますが、良く言われる事に聖杯を清める布の扱いと似ていると言われます。私はミサにも行った事があります。が、大きな教会で後ろの方だったので、司祭の手元までは見えませんでした。と言うより、信者は司祭を見つめている人は居なかったので、みんなと同じように頭を下げていた。利休は真近に見ていたであろうと言われます。が、時代背景や場所にも因り、見ている事は可能だったであろう。

読み難い処もあるが、眠れない日が続く気がします。

口直し
私の目福と口福
高山右近_b0197486_1702517.jpg

緑色は「かぼす」
Commented by joshua0722 at 2014-07-28 08:57
イギリス国教会系の日本聖公会に通っています。立教大学や聖路加国際病院と同じ系列です。
教会で祭壇奉仕をしていた時(まだお茶を始めるず~と前)、司祭様がそのようなことを仰っていました。
聖杯を清める布(麻)は茶巾より大きい物ですが、たたみ方(たたむ向き)は茶巾と同じです。
そして、その布を使って聖杯を拭く所作は、茶碗を拭くのと同じです。
左側に下げて、布はそのままに聖杯を3回半回す。
濃茶の回し飲みも?
by higashinuma | 2014-07-27 15:33 | 所感 | Comments(1)

茶道をとおして日々の流れをつづる

by higashinuma