人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

つれづれ

京都の歴史

今日も半分くらい書いて全部消えたので時間切れ

28年1月28日 木曜日 晴れ 今は日差しがいっぱいで19.9℃ 
9時頃から17時過ぎまでは晴れであればエアコン無しでも暖かい。

昨日は病院に行って、待ち時間に短編を読み切った。
宮本武蔵と吉岡道場の話は大河ドラマなどで何気に知っていたが、吉岡が染物屋と言う事は初めて知った。そして今、染の吉岡と言えば多くの著書を出して居る草木染の第一人者吉岡幸雄氏を思い出す。我が家にも「日本の色辞典」がある。結果から言うと、この宮本武蔵に敗れた吉岡憲法と言う道場主が剣術を止めて染物をするようになり現在もその名が残る「憲法染」を作り出し、店は大層繁盛してそこの奉公人が江戸時代にのれん分けをしたのが、現在の吉岡幸雄氏の先祖と言う事らしい。

京都は名水で有名ですが、堀川を通ると観光バスガイドが友禅染の洗いをしていたと説明します。堀川では布の染色は勿論紙の染色もしていたようです。利休もその水で茶を点てたとされる柳の水は現在は馬場染物店にありますが、四条西洞院界隈には多くの染屋さんがあったと言われます。

小説「吉岡憲法の色」木下昌輝著の吉岡道場もここにあり、昔は染物屋だったのが剣術の道に進み京都でも剣術の名だたる八流派の一つに上げられた吉岡道場を4代目憲法の名を継ぐところからこの物語は始まる。
史実の中には宮本武蔵の父 新免無二と足利義昭の御前試合をしたとあり、吉岡は代々足利家の武術指南をしていたとあり、武蔵も五輪書の中では吉岡には勝った事が無いような事も書かれているらしい。
小説に戻り、吉岡道場4代目憲法が京都所司代で木刀寸止め三本勝負の試合をして、武蔵の眉間の表皮を切り、血を見た立会人は武蔵の負けと言われたが、憲法は左肩を折られ、右指二本を折られており、負けを認めます。そして染に専念し、中国人の奉公人李とともに「憲法染」を作り出すのです。

憲法染は今もその名を残し、喪服などに使われているようです。
染の分業の事は分からないが、当時から黒染とその他色染は分かれていたようです。
憲法染は黒であって黒で無い色。今「日本の色辞典」は前の家にあり、調べようがないのですが限りなく黒に近い茶の色となっています。主に喪服生地などに「椰子憲法染」と表示してあるので、呉服屋などでそれとなく気にして見て下さい。

我が家飯から1月14日夜飯です。
京都の歴史_b0197486_1716735.jpg

冷蔵庫整理の野菜炒め
京都の歴史_b0197486_1716309.jpg

何の魚か忘れたが淡白で旨い
京都の歴史_b0197486_17165396.jpg

生姜焼き
by higashinuma | 2016-01-28 08:28 | 読書 | Comments(0)

茶道をとおして日々の流れをつづる

by higashinuma