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つれづれ

断捨離

28年3月10日 木曜日 曇り 19.2℃ 何となくうすら寒いがエアコン点けて無くともこの気温

毎月届く月刊誌数冊。最近は本屋に行っても殆ど買う事も無いが、とてもとても読み切れない。単行本の未だ読んでいない本も数冊ある。
パソコンに入力した資料が、文字化けで読めなくなり、かろうじて読める文書も残ってはいたが、読んでみると文字が抜けて居たりする。再度、入れなおすためにその月刊誌を探した。と言うのはパソコンに入れて、本は捨てたからだ。とりあえず、今年分が2冊(一月と二月号)三年前が半分しか残らない。困った!5年目毎にその間の資料から引いてまとめたものが出版されるから、その失った分は欠けてしまう。その分は国立とかに行って抜き書きしてくるしか無いかも。

パソコンを置いている机は結構広めですが、半分は本の積読・・・「つんどく」で「積読」が一発変換・・・驚いた!それだけ多くの人が本を積み重ねていると言う事だ。
資料になる本は雑誌でも手元に置きたい。自然、パソコンの周囲は積読で机は占領される。多分、関係ない人から見たらゴミの山。確かに美観は良くない。
それに、捨てると上に書いたように後で困る事に。

この前、北京の文房四宝店榮宝斎の便箋を探していた。ここの店の便箋は木版刷りで有名で、一時良く買ったものでした。北京の本店は瑠璃廟と言う清代を再現した街にあるが、池袋西部デパートに支店があった。(随分前から文房四宝より美術工芸品に変わった?)
我が家は便箋、封筒類色々な紙類は大きな紙袋に乱雑に入れてある。確かあの袋に・・案外簡単に見つかった。他に資料の袋等が4つか5つある。この一年間に一度も開けてない袋もある。引っ越しの時に段ボールに詰めたものもそのまま。アルバムとかも・・・あぁ、こうしてゴミ屋敷状態に( ´艸`)
映画パンフとかは街に寄付すれば良かった(映画の街として募集している)未だ捨てて無い物もあるのでそれらはそうしようと思う。
世の中では断捨離が出来ない人と言うらしい。

断捨離はヨーガの修行の言葉からのものらしい。その言葉は商標登録されているらしいので、こんな簡単に使って良いのだろうか。
そんな簡単に物を捨てて良いのか?例えば、石鹸箱に小さくなった屑のようなかけらが入っている。でも、未だ充分に泡が立つし充分に使えるのだ。それを捨てて新しい物を使うにはどうも抵抗がある。それで新しい物を使い始めたら石鹸屋を潤すだけで、ゴミとして流せば公害にもなりかねない。これは一つの例で私の中にはこういう考えが「こびり付」いている。ちびた鉛筆、消しゴムetc
それって本当に断捨離の一言で切って良い物だろうか。そのゴミは何処に行くのだろうか・・・
紙等は再生できるけれど・・。この世に生まれ出た者(物)は全部綺麗に使い切って、成仏出来るのではないかと思う。それでも、毎日毎日、燃やせるゴミ、資源ごみ、不燃物、危険物・・・分別しているが、便利=ゴミみたいな一体どうしてこのような世になったのだろう。断捨離より元に戻せばと思う事もある。昔は例えば魚などは魚屋で買ってパック詰めなんか無かったと思う。パックは便利だけれど空いたパックは燃やせるゴミの発泡スチロールか再生ゴミのプラスチック。豆腐だって豆腐屋が売りに来て鍋持って買いに行った。

多分、茶道を止めればかなりの整理が出来る事は確か。茶道具類、書道用具、紙、それに資料本・・・一度も使った事が無い買った時は高価な道具があって数十年経つ。
道具の多い事を「蔵が深い」等と言って茶会で亭主を褒める言葉になる。
私などはそんなに茶会をする訳でもないので、稽古用最低限の道具。その高価な道具は心の潤いのような感じかな。この前、茶道仲間にその話を言っていたら、「それ手放す時は私に声かけて」と言われて驚いた。同い年位で同じく茶道の先生をしている。その年で?と思いながら、私の断捨離は遠い事と出来ない理由が分かった気がした。

気分転換
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ハンバーグ・・見た目コロッケみたいですね
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ミモザサラダ・・ゆで卵の一個は黄身の色が違っていた
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大根葉と厚揚げの炒め煮

今はレシピもネットで簡単に多くが検出できるが料理本も捨てがたい。作る訳でも無いが、海外旅行でそこの国の料理本などを買って、グラビアを楽しむ。知らない食材、使い方など興味津々。それも捨てられない。
by higashinuma | 2016-03-10 07:50 | 所感 | Comments(0)

茶道をとおして日々の流れをつづる