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つれづれ

すもも祭り

28年7月21日 木曜日 雨 28.9℃ 湿度が高いので変な暑さです。こういう時って体調は今一。

さて、昨日は「府中大國魂神社のすもも祭り」でした。
観光協会の説明では・・
その起源は平安時代の「前九年の役」にあります。源頼義・義家父子が、奥羽地方 討伐の折に、大國魂神社に戦勝祈願をし、そのお礼詣りの神饌(しんせん)のひと つが李子(すもも)とあったことによります。すももは古来より悪鬼を払う果物と されてきました。これにより境内にすもも市が立つようになったのが、この祭の名 前の由来です。現在でも参道にはすももを売る店が軒を連ね、たくさんの人が訪れます。・・
とある。
ここで売り出される鴉の団扇は昔、誰かに戴いた事があるが、紙質の所為か破れやすかった事だけが印象に残り、「すもも」迄戴いたかどうかは覚えていない。「すもも」ってメジャーな果物なのかなぁ?
私はそんなに好んで食べようとは思わない。でも、生家の庭に一本の「すもも」の木があって、こじんまりとした綺麗な花を咲かせ、多分今頃には黄色の小さな実が生った。そして、それはとても甘く美味しかった。東京に出て、大きく値段もそれなりのソルダムが「すもも」と知って、これなら食べなくともいいやと言う味だったので「すもも」=そんなに食べたいとは思わない感じになった。

昨日は初めて「すもも祭り」なるものを観に行って、参拝者が多いのは納得したが、イメージに反して「すもも」の店より屋台が目立った。そして「すもも」四個千円なんてのもあり、一つも買うことなく帰った。
「鴉団扇」も買う予定は無かったが欲しそうにしていたので・・
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欅並木と神社直前を旧府中街道が分断する。並木の中心は車道。苦肉の策ですね。
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神社前の欅大木。植樹当時の木?上の祭りの説明からすると、この時のお礼として、千本の欅も植えたとされるので凡そ千年の寿命になる。
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境内でこんな風に「すもも」が売られる
そして「鴉団扇」
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神社の説明から
・・神代の昔、大地主神が田植えをなさる時に、早乙女や田夫らを労うために牛肉をご馳走(※)した。 ところが御歳神の御子がそれをご覧になって家に帰ってそのことを御父にお告げになった。 御歳神は、これをお聞きになり非常にご立腹なされて、田にイナゴを放ち、苗の葉をことごとく 喰い枯らせてしまった。大地主神は大変に驚かれて、何か神の崇りであろうといって卜者を呼んで 占わせてみたところが「これは御歳神の崇りであるから宜しく白猪、白馬、白鶏を献じて お詫びするのがよろしい、されば怒りも解けるであろう」とお告げがあったので、その通りに したところお怒りが解けたばかりではなく、蝗の害を駆除する方法も、いろいろと教えて下された。 その方法の中に「烏扇をもって扇げ」とお教えなさったのである。・・
・・当日神社では五穀豊穣・悪疫防除・厄除の信仰をもつ「からす団扇」「からす扇子」を頒布しています。この扇を以て扇ぐと、農作物の害虫は駆除され、又病人は直ちに平癒し、玄関先に飾ると魔を祓いその家に幸福が訪れるといわれ・・

一枚五百円、玄関に飾って魔除けと害虫避けにしましょう。

「すもも」は漢字で「李」現代中国においては最も数の多い五大姓の一つに上げられ、朝鮮でも五大姓、ベトナム人にもある。私が思うに木の下に子と書くため、子孫繁栄の意味で姓に取り上げたのではと思う。
原産は中国揚子江辺りからとある。日本でも早くから食べられていたようです。上で書いたのは平安末期ですが、万葉集にこんな歌を見つけました。
「わが園(その)の李の花か庭に落(ふ)る(ちる)はだれのいまだ残りたるかも」大伴家持(19巻4140)

「桃李不言 下自成蹊」
中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書の中にある日本でも良く耳にする言葉です。桃李もの言わねど下におのずから道が出来る。桃と李の熟れる又は花が咲くころ頃にはそれを求めて人が集まるため、自然に道が出来ると言う事。中々このようには難しい。
因みに成蹊大学はこの言葉からとられています。
by higashinuma | 2016-07-21 08:57 | 所感 | Comments(0)

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