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つれづれ

断捨離

29年5月20日 土曜日 晴れ 24.6℃ 富士山はかろうじて見える
今朝位の陽気が良いですね。河川敷の緑、対岸の小山の緑も川の青も清々しい。観葉植物を外に出して上からドバ~と水をかけるのも小気味よい。私は4時頃目覚めたが、健太も起きている様子。5時過ぎると甘えてクンクンする。が、ここで起きては習慣になるので、6時ギリギリまで我慢。この間は辛い。眠いのに眠るでもなく起きている。もうすぐ一歳になるのでほぼ成犬。冬頃になってもクンクンはやるのだろうかと思いめぐらす。

起きると大概、良い子ポーズで尻尾をフリフリ見ている。カーテンを開けて床を片づけるまでは目を合わせないようにしている。健太側のカーテンを最後にあけて、このように見られているとつい「健太お早う」と言いたくなる。すると健太はムックリ起き上がり、両手を前に突き出して伸びの形をつくる・・・犬でもストレッチするんだと、昔、トレーニングのストレッチポーズを思い出す。でも、あの時は猫のポーズと言っていた。

6時過ぎに若を起こしに行く。休日で寝かせてやりたいが仕方ない。生活のサイクルを変えると私も調子狂う。

昨日で大方の用は済んだので、今日はパソコン廻りの片づけをしようと思っている。兎に角、本と資料が乱雑に置いてある。この部屋に本棚が無い事が最大の難点と思うけれど、前の家の大きなスライド式の本棚は引っ越しの時に捨ててしまい。この家に中型の本棚が荷物置き場に置いてあるだけ。当然入りきらない。で、本はと言うと引っ越してきたのは茶道関係の本と若の本のみで、其の外は造り付けの本棚と押し入れに置いてある。それでも随分捨てた。今はその捨てた書道関係の本が欲しい。
今の家ではここで買った小説とか資料本が置いてある。淡交社の「なごみ」は5月号で創刊450号となるようですが、全部保管している。今はそうでも無いですが、昔のは資料として良かった。

私は断捨離の出来ない人です。本は特に捨てられない。でも、おかしなもので物に対して断捨離出来ないが人に対しては薄情のようですが、執着心がまるでない。その現われが人の名前が覚えられない。此の前も道であった方が丁寧にお辞儀をするので、こちらもお辞儀をしたけれど、思い出さない。不思議な顔をしていたのか、その方が「ドッグランでお会いしました」と言う。行ったのも4、5回でいつも会っていた訳では無いので全く覚えていない。犬を連れていたならまだしも、その時相手はよそ行き?の洋服だった事もある。いえ、ドッグランで着ていた洋服でも思い出さないだろう。

電車の中で「この前はお世話になりました」と挨拶されて、「ん?」その方の話だとお茶会で一緒だったらしい。覚えて戴くのは有難い事ですが、多分一席、30人~40人位の客の中の一人をどうして覚えられるのだろう。尤も女性ばかりの中に男が数人の茶会。どうしても目につくけれど、親しく会話した訳でも無いし、そんな丁寧に挨拶されても困るのです。

断捨離・・着る物も捨てられない。今、Tシャツに象皮のベストを着ている。多分これはタイに初めて行った時の物。数十年も前の物です。切れたり汚れてはいないが、裏地が伸びて裾廻りからはみ出しているのをピン止めしている。ズボンは茶道教室で穿いていて片方の膝に穴が空いている。執着心と言うより勿体ないが理由。衣類として充分役立っているのに捨てる必要が何処に在る!

結構、こういう考えなのです。「生かせば資源、捨てればごみ」断捨離と相反する言葉・・まぁ、フリマでも出せばと思うけれど、こんなもの誰も欲しがらないだろう。使わない陶磁器やお土産で戴いた飾り物等々一つ袋に入れて、好きな物持って行って良いよと出したが、半分は残った。その処分も未だなのです。
「捨てる」と言う事に抵抗がある。何でも捨てる人も居ますが、どうも、そういう人は私の中で人間関係に深みを感じないような気がするのです。

我が家飯から
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昨日の残りのキャベツと浅利の蒸し物を味噌汁にした
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麻婆茄子
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キャベツと牛肉のスタミナ炒め
by higashinuma | 2017-05-20 09:50 | 所感 | Comments(0)

茶道をとおして日々の流れをつづる