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つれづれ

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お菓子

初心者教室は11月の最終日。早くも二ヶ月を経過し、風炉運び点前を稽古しています。
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床は「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」染筆は藤田寛道<寛道 宗信 1926~1985>
大徳寺雲林院のご住職で昭和60年に60歳で遷化されました。

私はこの禅語が好きで、デパートの茶道具売場で衝動買いをした事を覚えています。
恐らく、昭和49年に住職となられて昭和55年より雲林院の修復に取り組まれておられるので、
それ以後の56、7年頃の購入と思われます。と、すると約30年にはなります。

「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」を平たく言えば、良く乞食を3日したら止められなくなると
言われますが自分の心に何も無ければ本当に自由になれると言う事かと解釈しています。

ブランドの物を持ちたいのは何故?ある人は品質が良いからと、しかし、その事も含めて
大抵の人は人に見てもらうためでは無いのでしょうか。
このように書く自分もその中の一人かも知れません。
皆さんの思うところを聞いてみたいです。
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花は「野路菊と丸葉万作」
この葉を見つけて、枝を選んでいたら、80か90才位の品の良いご婦人が、近くでじっと
見つめていました。
他人の家では無い場所なので、何か言われる筈はありませんが、寄って来て
「お早うございます」と丁寧に挨拶されました。簡単に返事してその場は過ぎましたが、
あれは何だったのだろうと不思議な気持ちが今も続いています。
若しかして誰かと間違えておられたとか。
しかし、都会で最近ではめったにありませんが、朝はこうして挨拶を交わしたものだと
忘れていた事を思い出させてくれました。
花を持って教室に通うのは至難の業です。土曜日と雖も、早朝の電車は意外と混雑しています。
仕方なく、葉をボンドで止めてあるのです。京都の茶花専門の花屋で通販の店がありますが、
こういう照葉も扱っていてボンドで留めて発送すると聞いていたからです。
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菓子は徳島の茜庵から取寄せた「淡柚」
見た目「はなびら餅」ですが、中の餡は味噌餡に柚子を混ぜたという濃い緑色の餡でした。
楊枝で切って召し上がって下さいと言ったところ、四苦八苦されている方がおられました。
取箸の黒文字で持ち上げようとしたら、タラ~としそうな羽二重餅でしたが、割と腰があり、
切れにくかったようです。緑色の餡色以外は茶味のあるお菓子でした。裏千家関係の
ムック和菓子等の本に紹介されています。

あと、一ヶ月程で「はなびら餅」の季節です。この店の「はなびら餅」は牛蒡の他に
人参も入るようです。
宮尾登美子「東福門院和子の涙」には徳川二代将軍秀忠の娘が後水尾天皇に嫁がれ、
その生涯が描かれています。この中に宮中の正月の話もあり興味深いものでしたが、
「はなびら餅」の元となった「菱はなびら餅」は人参と大根も入るようで、固くなった
この餅を焼いて、味噌が流れ出してくると言う箇所もありました。
この時期にもう一度書きたいと思いますが、今は何処の菓子屋に頼もうか思案中です。
by higashinuma | 2010-11-28 22:19 | 茶道 | Comments(0)

茶飯釜

茶事の趣向に茶飯釜がある。大方は吊釜の季節に行われているため、この季節のものと思われているふしがあるけれど、大炉や風炉でも出来るので、季節に関係なく趣向として行えば良いのである。
吊釜はご飯の炊けるに合わせて釜を自在に火に近付け火より遠ざける事が出来るのです。それで、この時期がより好まれると思われます。

私の経験した茶飯釜の茶事は炉と大炉であるが、いずれも忘れられない茶事の一つである。

炉では吊釜で飯を炊き、汁を温める一般的に行われている茶事で、大炉では出汁を張った鍋を掛け、米と牡蠣を入れて炊く牡蠣雑炊を食事に取り入れた茶事です。これは亡き黒田宗光先生のご指導でした。

ご飯が炊けるまでは、各自短冊に短歌や俳句を認めたり、或いは回り花(全員で花を入れる)等で楽しみます。・・・ご飯を戴くにも雅な遊びがあるのです。
鉄釜で炭火で炊くご飯に不味かろう筈は無く、それに続くお茶も美味しく戴いたものでした。
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釜には「飯来飢」が鋳込まれ、これは腹が減ったら飯喰いに来いとの事です。この面の裏側には「渇来茶」喉が渇いたら茶を飲みに来いと鋳込まれています。一つ釜で茶とご飯両用は侘びたものとして、丿貫の手取釜の話等思われます。手取釜と同じように「掻立」の蓋摘みもこのあたりの事からでしょうか。
この写真は茶の湯を沸かす蓋で、ご飯の時には釜の周りと同じ大きさの蓋になります。

風炉での茶飯釜は歌舞伎に伽羅仙台萩があるが、この芝居の中にもある。(最近の上演は今年4月の歌舞伎座さよなら公演)仙台藩伊達騒動(実話)を歌舞伎にしたもので、継嗣鶴千代(亀千代本名は舞台で使えないため)とそれを守る乳母の政岡、そして政岡の息子千松。お腹を空かせた子供たちのために政岡が御殿の中に荘られた茶道具、台子の釜で、ご飯を炊くのだ。毒をもられるのを防ぐためこの部屋に籠り炊飯をしているという設定です。本題は、この最中にお菓子が届けられ、千松が毒見をして殺されるところにあるため、最近は炊飯の所作(茶道の所作)に時間を要するためカットされる事が多いと聞く。昨年の上演は政岡の役を玉三郎が演じ、大層な評判だったようです。この公演は知らないが、実際にご飯を炊くとも聞いた事がある。一度、お点前を拝見したいと思いながら未だチャンスがないのである。
この話は江戸時代の浄瑠璃から発生しているので、この話の頃には既に茶飯釜があったと言う事になります。台子の中でと言うのは昔は常に部屋の中に台子茶道具を据えてあったからの事です。

炉で粥を炊いて、つまり田舎の囲炉裏端の雰囲気で、粥からご飯が炊き上がるまでの飯を味わい、その後はお茶となるのであるが、これであれば気軽に茶事を楽しめるのではと思われます。話に因ると関西では男子の茶事グループがあり、交替でこのような雰囲気の中茶事を楽しんでいると聞いた。今、名前を忘れましたが関西の財閥で食事部分は「丼」物で行ったという「どんぶり茶事」をなされた方が居られたようです。それに通うものが感じられました。
茶飯釜と言うと作法もあり、構えて行わねばならないため、この真意を汲みこのような茶事も良かろうと思うのである。
by higashinuma | 2010-11-26 12:02 | 茶道 | Comments(0)

学園祭

今日は駒場東大の学園祭の茶会に行ってきました。
茶室「柏蔭舎」は学園祭の沢山の屋台で賑わう処を通り抜け学校でも一番奥にあります。
まさしく緑陰の中の静かな佇まいの茶室です。十畳書院付茶室と寄付、水屋などがあり、とても良い環境です。ホームページからの写真です。
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このような立派な茶室で、裏千家茶道部が勉強されている事は学生にとっても恵まれていると思います。
・・・他に首都大学東京、筑波大学等とても良い茶室があります・・・そんなに知りませんが。

去年は表千家の茶道部の茶会に参加させて戴きました。
講堂の中に組み立て式の四畳半茶室で露地まで設え、こちらも茶道に相応しくとても良い雰囲気でした。
詳しくは判りませんが、表と裏が先ほどの茶室で勉強されているのでしょう。

今回はカメラも携帯も持参せず写真紹介が出来なくて残念です。

一年生の男子で背広でお点前。半東は和服姿で二年生の女子と紹介されました。
他所の先生の生徒の点前を見せて戴くのは、指導しているものにとって大変勉強になります。
勿論、全てに共感と言うか肯う訳ではありませんし、こういう所作は真似してみようなどと言うところも多々あります。「人のふりみて我が身を正す」事が良いのでしょう。

今、私は初心者教室と言う六ヶ月限定の生徒を預かっていますが、学生であれば一年生から始めて四年間は習う訳です。初心者教室は風炉だけですが、学生の場合どの程度まで教えられるのかは分かりません。
しかし、基本は同じなのです。
いつも、生徒に話すように、現在は先々代の家元から習われた方から先代、当代と3代に亘っての点前を指導される方が居り、微妙に違います。
また、指導しても、それを維持できる方とすぐに我流になる方が居られます。
師に習い、それを守って充分に体得してから、師を離れる「守、破、離」と言う言葉もありますが、それは充分稽古を積んだ人に言う言葉だと思います。

点前に限らず、花の入れ方、道具の取り合わせ等にも言えると思います。
このような取り合わせはしないと言う、ちょっと意外な取り合わせがあり、先生に聞いているのかとの質問に「テーマを決めて、まず常什の中から選んで取り合わせを決めて先生に見て戴く」との事でした。

私は古くはここの指導者を存じ上げていましたが、今の方は面識がありません。
学生だからと言う事もあるでしょうけれど・・・・・

最後に印象に残ったのは、受付から案内までは何年生が行っているか分かりませんが、礼儀正しく若い人らしく爽やかな事でした。また、お菓子もとても美味しいです。
我々が参加する事で学生も勉強になるのですから、是非ワンコイン参加して見て下さい。
21日から明日23日まで。
by higashinuma | 2010-11-22 16:59 | 茶道 | Comments(0)

今日の道具

初心者教室のカリキュラムは薄茶平点前の他に棗と茶杓の拝見が今日から始まる。
棗、茶杓を拝見して亭主の趣向や心入れを感じ、今日の茶会のために整えて戴いた「もてなし」の道具に感謝する勉強だ。
それだけでは無く、床の間の花は勿論軸、花入また茶碗や水指等々全てがこの日の茶会の為に(来客であるあなたの為)亭主が考えて整えたものであれば、聞いて差し上げるのが御礼というものだ。
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今日の軸は大徳寺塔頭黄梅院江戸時代中期のご住職大綱和尚の「時雨」和歌短冊を軸装したものです。
「時雨する雲に心はなきにけり 晴るるも降るも風のまにまに」
川崎教室ホームページにも載っていますので参照。
花は「花水木の照り葉と実、西王母椿」西王母は中国の仙人の王の奥様で西の山に住むという。桃を育て1個食べると三千年の長命。そのため、中国の習慣としてご老人の誕生日には長寿を祝い桃の饅頭を贈る。
確か、この桃は三千年に一度しか収穫出来ないようで、大変貴重なものですが、盗んで食べた者が何人か居て、其々の話が面白いので、ネットで探してみてください。孫悟空もその一人です。彼は桃の管理を任されていました。
中国には桃の種類がかなり沢山あります。西王母の桃とされるのは「座布団」みたいな平たい桃です。私も中国で食べましたが、中国では未だ熟れていないようなものを食べるようで、美味しいとは思えなかった。
この椿を見ると蕾が桃のように見えます。
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箱書のある棗とご銘のある茶杓を置いて、具体的に分かりやすいだろうと、どういうものが使われるか説明しました。
棗は大宗匠の家元時代の箱書で辻石斎の塗り「鹿」大棗です。辻先生のお宅で先生はお留守でしたが、奥様が何点か見せて下さり、その中の一点です。丁度今の季節のものです。
茶杓は杉村和下削り東大寺別当筒井寛秀のご銘で「沓の音」です。遠く天平からの沓の音や遣唐使の沓の音等と捉えています。杉村和先生に茶杓を四本も戴いて、二本は知人へ渡し、その中に「無事」の銘がありました。お水取り修二会の松明の焼け焦げで穴の明いたものでした。その方もお茶をお辞めになり誰かに渡された由、今は四本とも手元に置けば良かったと悔やまれる。
by higashinuma | 2010-11-20 21:05 | 茶道 | Comments(2)

お菓子

今月19日は利休の孫、宗旦(1578~1658)のご遠忌(宗旦忌)である。
例年この日、上林茶舗より茶壷を駕籠に載せて白装束の二人が担い裏千家に届けられる。店主は裃姿の盛装で駕籠に付き添い干し柿と栗を手土産にされると言う。裏千家より上林に預けられていた茶壷に今年の新茶が詰められて、届けられるのだ。
昔は宇治からこのスタイルで歩いて来られたとの事ですが、何かと今は世間をはばかって、家元の近くで着替えて来られると聞いた。


宗旦の子息がそれぞれ裏千家、表千家、武者小路千家を興されて三千家となり今に連綿と続きます。
宗旦が隠居された今日庵には手植えの銀杏があり、裏千家のシンボルとして家紋や、同門の勉強機関である淡交会のマークとしても銀杏の紋が使われます。千家の正式な家紋は(裏千家は渦巻きの)独楽紋(三千家其々異なる)です。他に紋許としての資格を戴くと「つぼつぼ」紋(三千家其々異なる)が我々でも使えます。
銀杏は木がコルク質で水分を貯めるとの事で、京都市中の火災延焼で、裏千家も利休像を池に埋めたり、愈々危ないと言う時に銀杏が水を噴出し、今日庵は火災をまぬがれたとの事です。今でも、神木として注連縄をして祀られています。西本願寺にも同じように火災を守った銀杏があるようです。神社仏閣の銀杏はこの意味がありました。

そんな話を踏まえて、銀杏餅を注文しました。ここの菓子屋では初めて作るとの事で、「糖分が入ると銀杏が硬くなるし」とか言ってましたが、上々の出来でした。菓子屋によって、色々なタイプがあり、道明寺の餅、餡の入らない餅とかありますが、今回は宗旦忌に家元で呈される銀杏餅と同じように、羽二重餅から銀杏の二粒が透けて見えるようにと頼みました。家元では川端道喜の製になり宗旦銀杏が三粒入るようです。
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by higashinuma | 2010-11-17 16:30 | 茶道 | Comments(0)

旅行

趣味の一つとして、短歌がある。きっかけは中学生の頃、国語の先生に誉められての事。以来、ずっと作っている。
今、と言うかこの30年程は大きな結社に入会して毎月十首の短歌提出が、結社の決まりでもあり、自分自身の義務でもある。この十首がなかなか出来ないでいる。
締め切りが近くなると、少々パニックになるため、多摩川に出たり、深大寺に出たり徘徊が始まる。

茶道でも、お茶を戴いている間に、自分で挿した花を詠んで短冊に書くと言う、見た目には優雅な稽古がある。また、お香を炊いて香の銘を詠み、懐紙に書く稽古もある。
以前は和歌と言っていたが、今は大和言葉で作るのは難しく短歌と言っている。俳句や漢詩でも良い。
お茶を習い始めて間もない頃、業躰がこの稽古をされたのを、見せて戴き、その感動は今も忘れられない。

そんな事もあり、取材旅行に出る。一方、旅行は異文化体験で風景、風俗、食物等々興味尽きない。アルバムには写真に添えて短歌が書き込んである。価格の安さもあるけれど、東南アジアはインドシナ半島の国々を全部旅行し、何度も繰り返し行っている。パリ、ロンドン、ベルリン、スロバキア、ブダペスト、ウィーンそれからリオデジャネイロ、サンパウロ、イグアスを回った。裏千家のハワイ研修にも参加させて戴いた。
中国はどれくらい行ったんだろう?
先に上げた昆明市から石林、麗江、大理、シャングリラは二度行ったが飽きることは無かった。映画「単機千里を走る」で一躍有名になった玉龍雪山には、映画の前年に4600米迄登り、氷河に触れる事が出来た。
まだまだ行きたいところが多く魅力ある国である。
念願であった約30年分の短歌をまとめて歌集「玉龍雪山」を出させて戴いた。

しかし「坂の上の雲」で改めて観る、正岡子規は亡くなる数年前より結核で寝込むようになり、寝床から見える範囲で短歌を作り続けた。今の私にはとても出来そうに無い。
それらは評価を受け今に残る。病床で書いた感傷などは微塵も感じられないのが人間味なのでしょう。
テレビでは子規役の香川照之が好演しています。テレビは俳句のところで中断中。
その後、短歌では伊藤左千夫などの結社アララギに繋がって行きます。

そして、締切り間もない今日の夜はこれからまた、頭を悩ますのである。
by higashinuma | 2010-11-15 21:15 | Comments(0)

石路(つわぶき)

11月13日今日は初心者教室で盆略点前から風炉薄茶平点前に変わって二度目の稽古。
床は大亀老師染筆の「日々是好日」
備前の耳付花入に石路をいれてみました。
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石路は種類が多いです。隣の大家さんの門口にも咲いていますが、茶花には今日の床の花の方が良いと思う。
お菓子は「紅葉」丁度秋日が射し良い感じです。
稽古になるし、何よりはお菓子が綺麗に見える縁高でお出ししました。
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稽古の準備も自分で出来るようになりました。
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待ち時間も寸暇を惜しんで、帛紗捌きの稽古に励みます。
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やはり柄杓の扱いは難しいですね。
中指の第一関節及び親指と人指し指の間に柄を載せ、親指と人指し指で挟むのです。
持つ手腕、柄杓の柄が一直線で肘を使えると良いのですが・・・。
繰り返し稽古あるのみ。かな
by higashinuma | 2010-11-14 16:28 | 茶道 | Comments(0)

花の事

このところ花に関した話を続けたので、もう一つ書いておきたいと思う。
お茶を教えるようになって一番大変と思うのはやはり花だからです。
それで、お茶会に行っても花が何より気になります。

今まで、所謂大寄茶会は二度、席を持たせて戴いた。目白蕉雨苑と川崎大師茶筅供養席である。茶会は横浜キャメロットホテル(ホテルリッチ時代)茶室、精進料理の泉仙等で何度かありますが、大寄茶会となると広間で何十畳と言う部屋になり、それなりに床の間も広くなるので、花入れの調和が難しくなるし、花もそれなりの心つもりが要る。この二回は花長にお世話になった。

蕉雨苑は十一月で炉の季節でしたが、「菊の間」には炉がないため風炉の設え、川崎大師は十月である。
蕉雨苑では景徳鎮の茶葉抹釉の大振りな花入に白玉椿と照葉(何かは忘れた)、川崎大師では唐物籠に龍能菊と丸葉万作の照葉になりかけたものを用意した。
なんと白玉椿は一花のみ付いた枝一本千五百円であった。平成になって間もない頃である。やはり名花と言うのは格が違うと思いながら、3本と太神楽椿2本用意したものだった。それでも使うのは一本であるが、概してこれらは今にも咲かんとする蕾を使うので、茶会途中でひらいたり、移動中に首がもげた場合のスペアである。
写真は両方共に探している。
ある方は茶会前日に箱根まで採りに行ったとか、自宅の裏庭で育てたと言われるが、いつも珍しい花が多く本当だろうかといぶかしむ。

稽古にはなるたけ自分の足で採ってくるように心している。
椿も我家のだけだといつも同じになるので、街を回って採れそうな処から戴いてくる。悪く言えば花泥棒になってしまうのだが、何人かの先生達も同じような事をしていると耳にした。

そのお家の裏(農家の空き地のような)に道路から簡単に採れる椿があって、一枝戴いた。翌日植木屋が来て、その椿の木を手の届かない位置に移植してしまった。全く手入れのしていない椿なのに採られるのは、やはり嫌なものなのだろう。
しかし、私が採ったのを見ていたのは近隣の人と思えるから告げ口したのであろうか。移植したのが偶然だった事を祈る。

ある時、この地域で見知らぬ小母さんが自転車で転んでいた。前籠からこぼれた花が散らかっていた。先の農家や空き地と思えるような畠、それも道路際に藤袴や藪茗荷、漁り火草等々季節毎に色々な花が咲いていて、その中の数種類であった。どうも、花泥棒が見つかって、言葉は悪いがヤラレタらしかった。まぁ、こんなに採る事は無かろうと思う(私は一本程度しか採らないし、少ないものや枝の若いものは採らない)反面、そこまでしなくともと思うのです。

因みに、先の椿の所は駐車場に、空き地は建売住宅になり、草花は全部コンクリートに埋まってしまった。
ここを通る度に、何とも後味の悪い思いがするのである。

自宅で所謂茶花を育てておられる方はどれくらいでしょうか?茶庭つまり茶席のある庭(露地と言う)は利休の教えにあるように大方常緑樹が多く、市中の山居の雰囲気で花の咲く木は梅くらいでしょうか。従って花畑とは到底無縁である。
家元の裏庭には花畑が在ったと小説「松風の家」に詳しい。今は京都郊外に広大な茶花を専門家が預かり育てているようである。
かなり遠い話で聞いていてもちっともありがたくは無い。マンション住まいではどうしようも無い。宮尾登美子は
マンションのベランダが広く、庭を作ったと語る。けれども、ベランダは共用部分で、メンテナンス時に壊さざるを得なく、その後は作らなかったと語る。市民農園は公平を規する為一年契約。そうかと言って畠を持つ経済的余裕は無い。我家のベランダも来春塗替えするらしい。蕾の膨らんだ椿等々沢山の植木鉢をどうしたものかと頭が痛い。

造花を挿している先生も居られる。これもどうかと思うが。ちょっと昔に裏千家青年の船と言うのがあって、船上で茶会をした折に、生花が駄目になって、造花を使ったところ好評で、それ以来時々花が無いときに使うと聞いた。船上で茶会があるのなら、私は鉢植で持って行くだろうと思うが、上海万博では生花に混ぜて造花も用意してあった。家元でも海外ではこうなるのかと寂しい気がした。

今までに印象に残った茶花では口切茶事の席だ。
茶事は懐石の間は掛物ですが、濃茶席(後入り)から床に花だけを置く。(諸かざりと言って両方ある場合も)
この時は床の中釘に竹一重切花入に板谷楓の黄葉と白玉椿が入れてあった。
口切茶事と言う茶人には新年とも言える席に相応しく、今でも眼裏に残る。この花を入れた方は花に詳しく、ここの主人も大変重宝されて居られたが、今は九州の地でくしゃみをしているに違いない。
by higashinuma | 2010-11-12 09:21 | 茶道 | Comments(0)

山茶花

今日、火曜日の稽古には「山茶花」を使ってみた。
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他は6日と同じ「満天星躑躅と野紺菊」満天星躑躅は6日のものですが、野紺菊は新しく採ってきたもの。

山茶花は「茶」の字が入っているので、お茶に遠慮して茶席の花には使わないと言われていますが、「山椿」と称して使用しているとも聞いた。こんな話を聞いていると、思い出しても山茶花を茶席の花としての使用例はあまり見かけない。
先日、教室にある淡交ムックを見ていたら、昔は山茶花も良く使われていたと書いてあった。けれども、茶道関係の古典籍(あまり多くは見ていないが)には見た覚えが無い。

利休の話を聞いて書いたとされる「南坊録」覚書に禁花の項がある。
「花入れに入れ去る花は
   沈丁花、太山樒(みやましきみ)に鶏頭花、女郎花、柘榴、河骨、金盞花、せんれい草をも嫌也けり」

沈丁花は春一番に咲く花ですが、昔は土葬のため雪が解けると匂うため、沈丁花を墓地に植えたとされる。
太山樒(深山樒)も春先に良い匂いがするため、同じように使われたと思われる。有毒。
鶏頭花は強烈な赤と文字からくる事でしょうか。利休は赤い花は嫌いだったようです。
女郎花は文字から受ける印象でしょう。しかし、今は使われています。柘榴も他を受け付けない朱色ですね。
河骨、金盞花も文字から受ける印象ですが、河骨は夏の茶花で使われているのを見た事があります。
金盞花は仏花として使われるのとやはり黄色が強い。
それから、菊も仏花のために使われないようです。
これに関連して裏千家ホームページの家元の質問にありますのでご覧下さい。

上の写真を見ると山茶花がある事で全体が引き締まって見えます。一種でも存在感があり、椿が咲くには早いこの時期、とても助かります。

先に昆明の椿を書きましたが、昆明市の花は椿。中国では茶、山茶花、椿は総称して「茶花」と言われています。お茶の花も私は美しいと思う。東京では希に垣根の植え込みで見かける事がありますが、ちっちゃな白い花を見るとそろそろ木枯らしが吹く頃だと思うのです。
by higashinuma | 2010-11-10 16:01 | 茶道 | Comments(0)

雲南の椿

今年、旧正月は中国雲南省昆明市に旅行した。
菜の花と椿を見せたいという坊主に誘われての事。

この都市は「春城」と言われる一年中温暖な地域で、2月にはもう菜の花が咲くと言う。
十年前だろうかに読んだ小泉武夫著『中国怪食紀行』?の中で菜の花が海のようだと言う一文がずっと頭に残っていたが、まさか実際に行くとは思いもかけなかった。

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昆明市から石林を横目に、高速で約4時間位走っただろうか。ここはもう貴州省の近くらしい。
カルデラ山の続く一体は行けども行けども菜の花だ。例えば、新潟平野を行くなら一面の田圃であるが、その菜の花版と言いましょうか。いやもっと壮大だ。ここに一泊して、近隣の観光地を巡った。
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少数民族の衣装。川魚をその場で焼いて売る。正月のためか観光客も多い。

椿は昆明市内の植物園や有名なお寺の境内に見事な花を咲かせていた。
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上はお寺の境内、下は植物園
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中国の国花「牡丹」のように咲く椿が多く、日本の侘び介のような種類は少ないし、白色も極少。

雲南省にはお茶の木の原木がある。上海万博の折に家元とお話をさせて戴いた。裏千家でそこに行った時に家元は都合悪く、万博にご一緒に来られていた大谷さんは行かれたからと、後で大谷さんが話しに来られた。
椿もお茶科であれば、この地でも愛でられる事かと、豪華な花を楽しませて戴いた。
by higashinuma | 2010-11-07 20:22 | 旅行 | Comments(0)

茶道をとおして日々の流れをつづる