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寒い

今年は1月20日の大寒の前より寒い日が続き、あと4日で立春です。
今日、1月晦日も凄く冷え込んでいます。それに乾燥が酷い。

けれど、子供の頃の田舎は今の大雪を驚くなんて事は無く、普通に例えば屋根の雪を下ろしたら一階の大窓が雪で閉ざされたなんて事は当たり前の事だったと思う。
東京に出て今のマンションに住んでからも、朝は水道が凍っていたし、下のプールも薄氷が張っていました。

大寒以降、エアコンを入れたのはホンの二、三日で、ガスファンヒーター一つで足りています。
先ず、朝は日の出からガンガン眩しい程太陽が挿し込みます。午前中は暖房不要。外に出て思わず身震い。
午後はガスを点ければ足りています。
数年前は遠赤の電気ストーブも点けていました。大寒前はこれだけを使っていましたが、流石に電気代を考え、ガスに切り替えたけれど、実際どちらが安いかは分からない。
エアコンは乾燥が酷くなるのでなるたけ使わない。スチームは気温が下がるので家に居る時はお湯を沸かすようにしています。
で、夕方洗濯して、家干すると夜間は充分のように思われる。10日程前に喉をやられて以降は特に気をつけて、洗濯物の無い日はタオルを二、三枚干しています。
風邪の時は酢水につけて干すと良いと教えてくれた人がいましたが、今はアルコールを時々散布している。酢水の効果は分からない。

茶室はエアコンを入れっぱなしなので、乾燥が懸念されるが、生徒が来られる前から釜をかけているので、程よい加湿になっていると思われます。

二月になると大炉を開け、釜も大口釜や皆口釜を掛けるので、茶室は一日居ても暖かく過ごせます。
裏千家十一代宗匠の玄々斎が考えられた炉で、極寒の時期のご馳走ですね。
この部屋(茶室)に入ると思わずほっこらします。
田舎屋の囲炉裏を見て考えられたとか、武家屋敷の宿直(とのい)、武家の寝所仕候の宿直の際、夜間警戒のために寄る部屋の囲炉裏から考えられたとか、いろいろな説(今後研究の余地あり)がありますが、玄々斎は武家の出であれば、後者の意見も頷けます。
普通の炉一尺四寸(約42cm)が大炉は一尺八寸(約54cm)あります。こうして計算でみるとたかだか12cm大きいだけですが、実際はかなり大きく見えます。
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この写真の釜は広口釜で姥口です。蓋の切り方(開けてある方向)は間違っています。内隅狙いでお点前なので右上方向を切るのが正しいです。それに五徳の据え方も、もう少し右になるかと思います。

家元のよく初釜の写真が掲載されますが、この茶室の隣、次の間の六畳に大炉があり、玄々斎は「六畳がよろし」と伝えられています。従って大方は六畳に大炉を切っていますが、稽古場などでは八畳に切る事もあります。
この点前は逆勝手になるため、常は右足から入り左足から出ると指導していますが、左足で入り、右足から出る作法に変わるため、足運びだけでも頭の中は混乱します。勿論、帛紗も右に付け点前も変わります。
家元ゼミで稽古をつけて戴き、終わって暫くの間は呆然としていたのを思い出されます。
客は常の足運びでも良いとの事ですが、この際挑戦するのも面白いですね。

写真で見るように炉壇は鼠色、炉縁は木地に踊り桐絵がお好みですが、木地は北山杉と聞きます。
この茶室には床の間が無いため、壁床にしたり、点前坐の柱に短冊を掛けるなど、俄か設えの床になるのもわびて面白いものです。
亡き黒田宗光先生の茶事で牡蠣雑炊を戴いた事が思い出され、二月は特に思い入れが深い月でもあります。

by higashinuma | 2011-01-31 18:15 | 所感 | Comments(0)

茶名

生徒から茶名を戴くのにどれくらいの期間が必要ですかの質問がありました。

10年位かなとは答えましたが、この答は大変難しいです。
私は週三回の稽古で殆ど休まず、約13年で戴きました。しかし、先輩が何人かおりましたので、「先輩を抜く事は出来ません」と断りました。
それと言うのも先輩は私の師匠に師事する前は師匠のお母さんに長いこと習って居られて、いつまで待っても茶名を戴けないとの話を聞いていたからです。
師匠は「出来ないのに上げる事は出来ない」と言われましたが、結局は先輩数人と一緒に下さいました。

この頃は宗家も今のような基準が無く、其々の教室の師匠の申請で茶名を許可されていたようです。
しかし、師匠によって色々で、私の知人にも他の師匠門下で例えば濃茶を練った事が無いとか花月を知らないと言う方でも茶名を戴いておられる方が居り驚いたものでした。

現在は生徒個人の進捗状態により師匠の判断で申請出来ますが、次に進む修道課程(以下科目と表す)が何年以上にならないと申請出来ないとか、最低年齢以上にならないと茶名が戴けないような基準があります。

生徒の考えと師匠の考えではありますが、私はやはり充分納得して一つの科目が終わったら次に進みたいと思っています。しかし、茶道の修道と言うのは人に依っては一生涯続くものなので(茶名を戴いたからお茶は終わりと言う訳ではありませんし)科目も数え切れない程あり、茶名を戴いても繰り返して修練を積みますので、ある程度出来れば、次に進んで良いだろうと考えています。
それらを考えての10年です。

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裏千家の所謂免状と言うのは、この点前をしても宜しいと言う許状です。
大方、割り稽古が終わった頃に入門の申請をしているようです。薄茶平点前、濃茶平点前、炭手前等が終わると小習いの申請ですが、炉と風炉の点前があるので、最低でも一年を必要とします。平点前と言っても例えば薄茶を入れる茶器が棗から中次に変われば扱いも違います。棚が変われば扱いが違います。覚える事は半端じゃないです。とてもとても一年で覚えられるようなものではありません。逆に毎回同じ道具で点前を学ぶとしたら飽きてしまうのではと思います。

写真は火曜夜教室の方です。お点前は小習い十六ケ条の茶碗荘を稽古しているところです。
この段階では、今の言葉でコミュニケーションをとる事、気働き等を学びます。その他にも、師匠の用意してくださる掛物や花、お菓子等々から季節を感じとり、年中行事を学びます。つまり、学・実・働を学ぶ訳です。

しかし、お茶を習いたい理由は様々あり、例えば「着物に興味ある」「基本だけ習いたい」「みんなとお喋りしたい」昔はお嫁入りの資格みたいなところもありました。
多分、点前の科目が沢山あるとか、日本文化のあらゆる事を勉強しなければならないとか、茶室の掃除や露地の掃除等々知らないで入門される方が多いように思います。先の先輩達は資格は欲しいが、みんなとお喋りしたいグループのようでした。師匠の話を聞きたいとか・・・。茶会の前、師匠の家の掃除をする事になり「何で他人の家を掃除しなければならないの」と怒っている方もありました。それは教えて戴く事から外れています。最近はカルチャーが多く、全部準備してあり、点前が終わればさっさと帰るお稽古がありますが、これで本来の茶道が残るのか懸念されます。

茶道の点前で百点と言う言葉はありません。客に沿わない点前はいくら間違いなく点前したとしても満点とは言い難いのが茶道と私は思います。よく、作法など全く知らない初めての客に、茶碗を回してとか一生懸命説明している方が居られますが、私はどうぞご自由にお飲みなさいと言います。習って初めて作法どおりに戴けば良いのです。昔、他の門下の男の方が「お茶でも習えば良いのに」と言われた事がありました。自分がお茶を習っている事が如何にも自慢げで話すのです。大層偉くなったものだと思った事でした。
家元の組織に参加して「○○役員しています」「○○委員長です」こういう事を言うことからして茶道に反していると思うのですがどうでしょうか。家元の維持のために組織だてる事は仕方ない面もありますが、切り離して考えるべきと思います。

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大徳寺立花大亀老師の色紙に紅白の椿をいれました。

by higashinuma | 2011-01-26 17:44 | 茶道 | Comments(0)

椿

前に鳥が椿を喰う話をしましたが、こんな感じです。
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右側の開いている花や左側の蕊の黄色に見える花、その下方の花もそうです。

蕊の出ている花のように花弁を全部喰うならまだしも、右側の花のように一枚の花弁だけ啄ばんで、また別の花を啄ばむといったほうが嫌らしい。
これらはヒヨドリの仕業。鳴声は姿に反して卑しくは無いのですが。
ヒヨドリは漢字で偏を卑しいに鳥と書きますので、やはりそうだったのかと思う次第。

この椿は銘を「折鶴」と言います。前ブログにも写真が載っていますが、今年は沢山蕾を付け、色が薄いのです。原因は分かりませんが・・・・

この写真の真ん中辺りに葉が波打っているのは白椿で一番遅く咲きますが、今年は蕾がありません。この椿も不思議な花で、蕊が見えるようになるまでは咲かないで落ちます。
下に細い蕾のものは黒椿でやはり開花が遅いです。
曙椿も現在はぐんぐん蕾が膨らんでいます。

by higashinuma | 2011-01-23 17:59 | 茶道 | Comments(0)

節分

初心者教室は来週お休み。
2月一週目は節分も過ぎてしまうので、今日は節分をテーマにしてみました。
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まぁそのものずばりの掛物です。
花は水仙をいれている途中で近所の方が蝋梅と梅を届けて下さいました。
急遽蝋梅と水仙になった次第。
花の先生には「枝が高すぎますよ」と言われそうですが、掛軸が大きいので、実際挿してみるとそんなに気にならないと思うのは自己満足でしょうか。
ただ、水仙の花の位置と蝋梅の枝が重なり、見る角度ではゴテゴテの感があります。

節分は立春、立夏、立秋、立冬の前日を言うので年に四回ありますが、今では立春の行事だけになりました。
大昔(平安時代の頃)は立春正月で立春即ち正月としていましたので、年の中で一番大事な行事になったようです。冷泉家では大晦日に豆まきをすると言う話を最近知ったばかりですが、流石に平安時代から続くお家柄故の事でしょう。

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相変わらずお菓子の写真は「へたくそ」と言われそうですが・・・・。
鬼とお多福の顔を描いた卵煎餅と、桃山のお多福豆です。お盆は絵馬。

生徒から「なんで桃山なんでしょうか」の質問が出ましたが、私も知りません。で、この生徒さんに調べて戴く事にしました。

毎回楽しみなお茶杓のご銘。今回は「南南東」がありました。??「今年の恵方は南南東」だそうです。
これに関連して京都の恵方社の話をしました。
京都の神泉苑の庭に恵方社と言う歳徳神(としとくじん・とんどさん)を祀る小さなお社があり、毎年大晦日、年が変わる時に今年の恵方にお社の正面を回すのです。だいぶ昔にテレビの大晦日の番組、確か「行く年来る年」で紹介されたのを観た記憶があります。歳徳神を祀る神社は全国でもここだけと伺いました。
神泉苑と言えば平安京は風水によって出来ているため、ここに泉が湧き出している処を選び御所が造営されました。丁度、竜神が水を飲む場所だそうです。天皇が遊宴する場所として広大な庭だったとの事(二条城造営で今の広さに)。弘法大師の雨乞いの話や義経と静御前の出会いの話とかここの場所にまつわる話が色々とありますので調べてみたら面白いと思います。
この場所には「神泉苑 平八」と言う結婚式場や会食に使うレストランがあり、調度も時代や平安朝の設えで、京都で一番古いという庭を眺めながら、京料理を戴けます。
他に京都には「平八茶屋」がありますので、お間違いのなきよう。

「福は内鬼は外」が一般的ですが、商売をしているお家では「鬼も内」と言う話も聞きました。「鬼」即ち「大荷」と言う事で大きな商いを願っての事です。「鬼は内」も色々な処で言われるようなので調べると面白いと思います。

by higashinuma | 2011-01-23 09:29 | 茶道 | Comments(2)

梅の別名

いつもながら茶杓のご銘を聞くのが楽しみ
思いもつかないご銘が飛び出す。

宗旦のご銘で「センター試験」でございます。
宗旦は江戸初期の宗匠ですから「センター試験」はありません・・・土曜日教室から

「鏡開き」もあった。てっきり15日がそうだとばかり思っていたら、生徒の一人が11日と教えてくれた。
旧暦と言う事もあるので過ぎたら悪いとは言いませんが、先取りが良いです。

火曜日は「梅」の銘があった。
直裁に言うより「花の兄」とか、「窓の梅」等とすると何気に典雅な雰囲気になります。梅には色々の呼び方があります。ここまで言って中国での呼び方を忘れてしまった。
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「好文木」と呼ばれます。晋代の皇帝の話からきていますね。
表千家十二代宗匠惺斎好に梅の透かしがある好文棚があります。
他には「風待草、百花魁、香雪、春告草、木の花、初名草、鉄樹・・・・・」
比喩でゆくなら「東風、天神、初音・・・・」
初音は鶯ですが、梅と鶯の組み合わせは誰がいつから始めたのでしょう?梅の頃に鶯は鳴きませんね。
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平安時代なかばまでは梅と言えば白梅を言っていたようです。梅は古くは弥生時代からあったとされますが、紅梅の伝来は定かではありません。一説に鴨川の肥沃な土壌により突然変異で出来たとも言われます。現在でも、既に種類としてはありますが、白梅の木に突然紅梅が混じって咲く事もそう珍しくは無いようです。

今や遅しですが、近所の畑で蝋梅は正月頃に良い香りを放っていて、初稽古の花として欲しいと思ったものでした。
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トルコのトプカプ宮殿の中庭に咲いていたのが印象的でした。

この辺りでは梅が丘の羽根木公園や府中の郷土の森、百草園などで野点や梅見の茶会が開かれます。
桜の頃のお菓子(花見団子や桜餅)と違い、梅の茶会でお菓子は何を使うのでしょうか楽しみな事です。

by higashinuma | 2011-01-20 16:05 | 茶道 | Comments(0)

やっぱりこの国が好きーⅣ

昨日、土曜日の初心者教室のお菓子にお土産のドライフルーツをお出しして、タイ旅行がバレてしまった。
その前に火曜教室の方が、ブログに載せた仏像の写真を見て「タイでしょう」とズバリ。
そうなんです。インドシナ半島の並びあう国なんですが、仏像や寺院の様式がまるで違うのです。

ミャンマーの仏像はお化粧している(こう言うと怒られるかな)カンボジアはタイに似ていますが、微妙に鼻や目が違う。しかし、ご承知のようにインド発祥でありながら、中国に行けば中国の顔など、夫々の国の顔になるのが面白いですね。パキスタン辺りでは西洋人のように鼻のすっきりした仏像ですし。

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今年の年賀状の写真です。
毎年年賀状は、勅題(歌会始めに出されるお題)を詠み込んだ歌を書いて写真を入れています。
で、今年は「葉」カオヤイ国立公園に行った時の歌を選びました。それで、この公園でのスナップです。
象使いは川岸から指示を出しているのです。象使いの方が撮ってくれました。
もし、タイに行かれるならこの公園ツアーは是非参加して下さい。今のところ日本語ガイドはいないようです。何故なら、ガイドは自然(歩道の整備されたジャングル?)を歩くため、動植物の説明、いざと言う時の対処等普通のガイドと違う資格が要るとの事です。野生の猿や小動物は見ましたが、野生の象もわりと近場に居たらしい。私は日帰りでしたが、今度は一泊コースに参加したいと思う。
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展望台に現れた野性の猿。何処かの猿とは違い未だ思慮深いです。
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公園の中の滝。野生象が落ちないように柵がありました。この山の斜面に象の足跡。

タイは北はゴールデントライアングル(タイ、ミャンマー、ラオスのメコンを介した国境)、首長族の住むミャンマー国境、南はレオナルド主演の「ザ・ビーチ」で有名になったピーピー島まで結構回数(数え切れない)を重ねました。何故と聞かれたら、やはりこの国の人達が好きなんでしょう。細かい事は気にしない精神とエネルギー溢れる行動力。それにタイご飯、フルーツも好きですし。辛くない物が沢山ありますよ。

タクシーが今のところ一番の問題ですが・・・・他方で受けたショッキングな事故・事件もありません。
マニラで白昼強盗に遭ったり、イスタンブールでタクシー代二重取りされたり。

by higashinuma | 2011-01-16 14:58 | 旅行 | Comments(0)

やっぱりこの国が好きーⅢ

このところ寒い日が続いていますが、昔は下のプールが氷っていたり、水道が凍っていたりしましたから、未だ氷る日が無いだけ楽なのかもしれません。
下のプール・・プール付の豪邸・・・イエイエ、我家から市民プールが見下ろせるだけの事。

けれど、こんなに寒いとこの国が恋しいのです。
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それにこんな料理が安く食べられたりするのです。皿の縁とりの赤色はトマトです。
この店は有名な、と言うのはガイドブックには必ず載る近年話題の料理「蟹カレー」の店に食べに行って、昼は休みで仕方なく入った海鮮料理の店での写真です。
何気に入ったこの店には店員の美女が三人も働いていました。
「私たち東京ではオカマと言うんでしょう」
普通に街を歩いていても誰も何も言わないし、なんとも思って無いふしがあります。
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怪しげな雰囲気は全く無い大きなレストランでの昼食です。
テレながらもご機嫌です。
料理の美味しい店でしたので、翌年も行ったら閉店していました。
おまけの写真。この美女達は?
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プロのショーダンサーと言えばカッコいいですけど・・・愛ちゃんより品が良いでしょ?
妻子を養うために働いている人も居るとか。不思議な国です。

この国は食材が豊富で市場に行くのが楽しみです。
熱帯の食材ばかりではなく、この国で採れた林檎なんかもあったりします。
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右側の赤や緑は唐辛子。種類が多いです。左端は冬野菜の白菜です。
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これらは地方都市でのスナップですが、都市でも変わらない。
北の方に行った時には「蛙」を三匹ずつ串に挿して売っていました。

食事はレストランばかりではなく、屋台でも食べますが、フードコートで食べる方が多い。
それも、ガイドブックに載らないフードコートは日本人に会った事が無く、サラリーマンが普通に食べる処なのでこの国の文化が見える。
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この料理幾らと思いますか・・・・全部で日本円500円位です。
日本と比べると衣食住が安い。念のために☆が付く料理は日本と変わりません。
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先ほどの市場は内陸の方向で上の(ピンボケ)の写真は有名なビーチでの夕飯です。
大好きな蟹カレーをメインに海老と春雨の蒸し物など
前の料理の写真にも載ってますが、飲み物はスイカジュースです。
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果物も一年中豊富にあります。右上の茶色い果物はまるで干し柿の味。
大雨が降った日、雨宿りしていた店の人が道路に山積みのスイカを指差して「ウォーターメロン」と言ったものだから大笑いしました。けれど、英語ではそう呼ぶんですね。スイカを指差し「雨は天の恵み、ああやって育つんです」と言ってたので、笑う場面では無かったんです。赤恥!

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都心に近い農園で、ココナッツを積んだ舟を撮る。これらが、都心に運ばれ
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こんな感じになるんです。
土日しか開かない巨大なマーケットで一休み。この写真以外は三年分のアーカイブからピックアップ。

次はいつ行くかなぁ・・・

by higashinuma | 2011-01-14 15:36 | 旅行 | Comments(0)

初稽古

火曜日教室も11日に初稽古です。
もう既に会社など始まっている曜日なので、一同に会することは無く、普通に稽古です。
それでも、気分を味わって戴きたく室礼は正月の飾りです。
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軸は蘇州寒山寺の性空和尚の染筆。
多分三十年前?に書き下ろしを戴いて、帰国後知人に表具して戴きました。
上海万博で裏千家の国際茶会を手伝ったおりに、この寺を再訪しました。
境内にこの和尚の書かれた寒山寺の著名な詩「楓橋夜泊」が碑になってガラスケースに収まるように建っていましたので感動したものです。

花は紅梅と白玉を竹花入に。こうして掛けてみると、床がすっきりして、なるほど裏千家の初釜の花はこういう事かと感じ入りました。

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稽古道具ではあるけれど華やかに組み合わせました。
千羽鶴の炉縁は我家で一度撮影のために使っただけで、今回漸く日の目を見ました。
朱地金襴手水指は茶道入門後初めて買ったもの。
老松蒔絵の面中次薄器と宝尽くし茶碗。黒田宗光先生のお奨めの蓋置は丹波の色絵兎。

お点前の方は濃茶が上手に練られます。
他の者が練ったお茶と同じ物?と思う位味わいが違います。
実は土曜日のお茶と同じなのですが・・・・
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茶碗は山形の本間美術館お庭焼き池田さんのお弟子さんが焼いたもので、赤二碗と飴色を戴いたのですがこの赤は「曙」色で正月には相応しく好きな茶碗の一つです。
茶入は私の稽古時代に使っていて、師匠が止められる時に戴いた物。師匠のお母さんの流れを汲むもので、今では百年を超えています。「曙」と織部釉が良く映えます。
仕覆は「角倉」兎と花の模様です。金襴の金も時代を感じます。
茶杓ご銘はそのものずばり「初春」でした。

兎はもう一つ出ているのですが・・・

生徒のお歳暮でお香(三条家名香「梅花」)を戴いたので、早速炊いて、平安朝の雅な香りが満ちた初稽古でした。
※三条家は代々お香のお家とされましたが、明治維新に国の政策に係わり多忙となったため、その秘伝を全て鳩居堂に託されました。
鳩居堂には「梅ケ香」もありますが「梅花」は平安時代から伝わる六種香の一つです。

by higashinuma | 2011-01-13 08:40 | 茶道 | Comments(4)

小豆粥

京都っていいですね。いつ行っても良い!
今の時期、小豆粥が食べられるお寺がある。妙心寺頭塔東林院だ。
わざわざこのために京都へ行った訳ではないけれど、折角ならと行ってみた。
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先ず、広間(仏間続き)に通されて、点心を戴く。この場所からはこのお寺の有名な沙羅(夏椿)の大木がある庭が見られます。縁高の隣は大福茶です。
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小豆粥のお膳。奥の客殿で戴きます。
住職が精進料理を教えておられるので、味は折り紙つきです。
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客殿に渡る廊下の庭には千両が・・・鳥避けの線が張ってある。
この記事は二年前のもの。今年も行きたいなぁ。

小豆粥には子供の頃の思い出がある。
母の居ない私は祖母に育てられた。
祖母は、ある寒い日、祖母のコートに包まるように寄り添って小一時間はかかる夜道を歩いて檀家寺に連れて行かれた。その後そこより、別の寺に移動した。この寺は鬼子母神を祀ると聞いていたが、その後は行った事が無いし、場所も知らない。
このお寺で大黒さんに小豆粥を戴いたのだった。写真のようなお膳ではなく、お碗に熱々の小豆粥を少し戴いただけだったが、今でも忘れられない。小豆粥は薄い塩味なのですが、年端も行かない子供ではあったけれど、お寺などどんな様子だったなんて覚えて無いがこの味だけはしっかり残っている。写真のような餅は入ってなかった。
小雪が舞っていたからやはり今の時期だったのだろうか。

東林院の小豆粥には味が付いてなく、小皿の塩昆布を混ぜて戴く。
戴く前に、ご飯を少しつまんで小鳥のために喜捨(だったかな?)するのも禅寺の作法のようです。

妙心寺に行くには遠いイメージがあり、何気に行くのを躊躇われたが、行ってみると意外と近いし、電車も間をおかずにあるようです。お奨めです。

by higashinuma | 2011-01-10 21:26 | 正月 | Comments(0)

はなびら餅

今回は気張って虎屋のはなびら餅を使いました。結果トホホの状態に(大泣)
注文に行った時に午前中に作るので、店には午後に。賞味期限は一日なのでその日のうちにと言われました。・・これだと教室に持って行く時間がありません。
金曜午後に取りに行って教室に届け、涼しい処に置きました。
翌日、多分二時ごろに全員で戴きました。
餅が固くなり、本来の葉固めの餅のようです。
虎屋さんは東京のは「餅」で京都のは「羽二重餅」と聞きました。
流石と言えば流石に名店。そんな状態なので店売りはしていないのです。
宮中にお届けするのも午後なんでしょう。
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こんな状態になるはずでしたが、表面が真っ白(硬くなったのです)でした。
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宮中の鏡餅は、紅白の2段敷きの鏡餅の上に、葩(薄い丸餅)12枚と菱(紅い菱餅)12枚を載せ、ほんだわら付き昆布、串柿を左右方向に垂らします。
更に、砂金袋型の餅、伊勢海老を水引で括って載せます。
四囲には、柚子、橙、かち栗、ころ柿などを配します。
これを道喜が御所へ献上していました。

この鏡餅のパーツである葩餅と菱餅が宮中の正月の雉酒の肴とされます。
押し味噌、飴、山芋などが載せられた12種の菱葩餅です。初献、2献・・・と酒を飲んでゆくのですが、その初献の肴となるのが押鮎2匹を載せた菱葩餅です。

また、宮中の正月では上から下っ端の役人にまで菱葩餅が配られました。
それは、葩餅に菱餅を重ね、牛蒡を載せ、味噌を付けて渡されたのです。
※鏡餅写真以下前行まで菓子暦/BIGLOBEウェブリブログから転写させて戴きました。
上の記事では酒の肴とされますが、殆どは直ぐに食べられないもの(硬いとか生物)の方が多いようです。

裏千家十一代玄々斎宗匠は丁度、明治維新の頃のお家元です。そして、徳川幕府の臣下から裏千家に養子に入られました。幕府方とか勤皇方とかの争いを避けるためと思われますが、あくまでも茶道と言う事で、禁裏に献茶をされています。
このような禁裏との関係から菱葩餅を戴いたようです。
献茶の返礼として拝領した品々のお披露目の茶会で、菱葩餅を細かくしたものを菓子に混ぜて饗されたと聞きます。
その後、菱葩餅を参考に道喜と相談されて、現在のような葩餅を作り、許されて裏千家の正月のお菓子とされたようです。それで、千家の家紋にもある独楽盆に載せて出されます。
今では何処そこのはなびら餅が美味しいとか、末端の菓子屋まで作るようになったのは、このような由緒からして良いのか悪いのか考えさせられます。

因みに裏千家の初釜(京都と東京)では道喜のはなびら餅ですが、確か一日400個しか作れないため、他の客は末富のはなびら餅をお出ししておられるとか伺いました。
御所の餅御用は道喜、お菓子は虎屋と聞いてますが、天皇が東京に移られて宮中の餅は虎屋が扱っているようです。

道喜は全て家内生産で行うため、正月以降は一般には売られません。
私も戴いた(これは大変ラッキーな事です)事がありますが、餅が柔らかく、懐紙に取るのに箸で苦労し、戴くのにも苦労し、口元に懐紙毎持ち上げて食べた思い出がありますが大感動ものでした。
年末にお試しのはなびら餅を作り、それを一般の方にも分けておられるようで、東京からわざわざ新幹線で取りに行かれた話もあります。お茶の世界はあまり金額の話はしませんが、参考に道喜1個1500円台で虎屋は500円台、鶴屋吉信等は300円台です。

先の菱葩餅は徳川二代将軍秀忠の娘「和子」が後水尾天皇に嫁がれた頃の話では、大根と人参が載ると耳にしました。嫁いで、徳川(江戸)と宮中(京都)の正月のありようが大きく異なりその様子は宮尾登美子がうまく書かれておられます。
下端はそれに雑煮の味噌をとっておき、砂糖を加えて練り、これに合わせて焼いて食べたようです。やはり味噌が流れてくるため、懐紙で包んで食べた話とかがあります。
近年、これを見られた虎屋の店主が今のようなはなびら餅を届けられて、大変喜ばれたそうです。
宮中の雑煮とか言われていますが、他に白味噌の京風雑煮を召し上がっているようです。

「和子」姫は「まさこ」と読み、今日から始まったNHK大河ドラマ「江 戦国の姫たち」の江と秀忠の末娘です。
又、後年、東福門院和子と呼ばれ、千家三代宗旦とも交流があり、下賜された茶道具やお好み道具があります。このような話を知ってドラマを観ると、興味がわいてくるのではないでしょうか。
信長妹濃姫と浅井長政の娘、三姉妹(茶々、初、江)→江と徳川秀忠との末娘和子→後水尾天皇と和子の末娘興子→明正天皇(七歳で即位した女性天皇)

前に「淡柚」を使いました徳島の菓匠茜庵でははなびら餅に牛蒡と人参を入れるようです。

by higashinuma | 2011-01-09 23:23 | 茶道 | Comments(2)