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梅見

今日はなんと寒い日なんだろう。
NHKで水戸偕楽園の梅祭りをニュースの後に流していた。雪が降っていた。

日曜日の行楽には絶好の日、水戸偕楽園の梅見と筑波山梅園の梅見に行った。
大手旅行会社の日帰りバス旅行だった。朝7時新宿発帰りは夜8時半。
筑波に行って益子で昼食、この近くでいちご狩り食べ放題、水戸偕楽園で一時間ちょっと。都心に帰る長い渋滞の列でくたびれた事でした。

偕楽園は常磐線が公園の中を通り、いわき迄毎月一度出張していたので、いつかは行ってみたいと思っていたが、こういう形で行くとは想像だにしていなかった。

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筑波山の梅園
紅梅は満開ですが白梅は三分位かな?石がゴロゴロしている中での梅園でそれなりの風情がありました。
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眺望の良い場所で野点をしていました。
裏千家の点茶板での点前でしたが流派は?梅餡の饅頭を美味しく戴きました。

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水戸偕楽園の好文亭扁額。九代藩主斉昭公が別邸として1842年に建てられましたが、1945年空襲で焼けたのを1958年に再建したものだそうです。扁額は斉昭公の自筆。
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好文亭東塗縁よりの庭。梅は丁度見頃を迎えていました。
千波湖の向こうに映画「桜田門」のセットが見えますが・・・・でも、何故ここに桜田門を?あの事件は時代の流れの中では評価されているからだろうか?
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好文亭の3階より見おろした屋根の造形。
この屋根に見られるようにいたる所に造形の美があり、意匠も大変凝っているように見受けられました。
例えば竹の間の欄間には竹が嵌められていたり、配膳用の昇降機があったり、詩歌の宴が催された西塗縁の板戸には漢詩を作るために八千の韻字が書かれていたりします。

筑波山で売っていた「金柑」を帰ってから「金柑酒」を作って欲しいとせがまれ、今日の寒い雨の日、容器を買いに大手スーパーに行ったが、梅酒の時期しか売らず無いと言う。他のスーパーにも無い。大手ホームセンターで漸く見つけた。こんな容器は梅酒を作るだけでは無いだろうに・・・・今の時期は苺やそろそろグレープフルーツ、果物ならある程度何でも果実酒が造れるのに。

いちご狩りは「とちおとめ」。旅行社のうたい文句のように「あま~い・・・」いちごでしたが最高で98個食べたと言うには遠く及ばず私は30個位、家の者は48個食べたと言ってました。
コツは最初に美味しそうなものを蔕を入れる皿にどんどん採って、それを食べる事だと、最後のほうになって気が付きました。これには理由があるのですが、行ってみてのお楽しみ。

by higashinuma | 2011-02-28 22:17 | 旅行 | Comments(0)

ひな祭り

2月26日土曜日はひな祭りの趣向でした。
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去年もこの短冊を掛けていたので、もうこんな季節と巡る早さを否応無しに感じさせてくれる。

我家にも立雛の立派な内裏様があるのだけれど、もう何年も顔を見ていない。
この短冊を作られた方も、内裏様を作られた方(真多呂で人形指導しておられた)も故人となって久しい。

花は雛にはちょっと寂しいが猫柳と紅椿。去年は三椏と椿だった。今年も三椏を見に行ったが採るには蕾が固く未だ早かった。雛の定番では桃と菜の花を入れるのだけれど、菜の花は利休の命日以前は遠慮する習いがある。(利休最後の日に菜の花が入れてあった事から2月28日の命日以前は遠慮する)因みに裏千家ではこの年(天正19年)は閏月が二度あったと言う事で、3月28日が利休忌です。
年年歳歳このようにして歳が経つのだろう。

お菓子は写真を撮り忘れたが「ひっちぎり(ひちぎり)」を用意した。「引千切」と書く。茶道検定一級の問題に写真が載って何と言うお菓子か漢字で書きなさいと言うような問題だったと思う。私は「引契」と書いたので当然バツ。しかし、末富の本には「引契」と書いておられる。意味から言ってもこの方が正しいと私は思う。
「あこや」とも言う。餡を載せた物などは見た目があこや貝(真珠貝)を思わせる。二枚貝は他の貝とは絶対に嵌め合わない。古来の遊具、貝合せの考え方なのだ。姫の遊びで、一度契ったものは引き離されても、元に戻ると言うような貞操観念をそれとなく教えていたのではないかと思われる。

しかし、簡単に言えば、餅を引き千切って餡を載せただけの事。これは宮中の年中行事として生まれた餅が発祥とされ、先に書いたような深い意味は無さそうだ。それがお菓子の意匠として定着したようです。餡を載せた物、きんとんを載せた物等店に因って色々あります。
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この写真は他の方のブログから戴きました。悪しからず。
以前は東京では見かけませんでしたが、今日、雛祭りの頃の主菓子として定番になりました。


生家では旧暦で雛祭りをしていた。
八畳と十畳の二間続の座敷が漆塗りの板の間で畳を敷いたりもしていた。
雛段を飾り、菱餅は臼でついていた。そして、雛祭りが終ると、この菱餅は賽の目に切られて、座敷に敷いた数枚の莚に広げて乾燥され(天気の良い日は天日干し)、農繁期のおやつの「あられ」となるのだった。
赤、緑、白の他に黄色もあったように思うが、莚に広げたそれらはカラフルで陽光に眩しく、春の景色と言えば真っ先にこの光景を挙げる。
旧暦では未だ梅がちらほら咲き始めた位だった。
大きな囲炉裏に天井から紐を下げ、網の「あられ」炒りを吊るして、祖母が一日かけて作業していた。炒った「あられ」は冷ましてから大きな缶に詰め、何個も保存してあった。
炒ったばかりの「あられ」に砂糖醤油を絡めて食べるのは何よりのおやつだった。

時代も経て、今では農作業も機械化され、手伝いの人も雇わなくて済み、今時、手作りの「あられ」など食べる人も居なければ、すっかり廃れてしまった。


今回もカリキュラムにのって花月をした。前々回より休んでおられた生徒が二人も居て、今日が花月の稽古初めてと言う事で、来週もう一度行う事にした。

by higashinuma | 2011-02-28 17:59 | 茶道 | Comments(0)

忘れられない思い出 11

20代の頃はヒッチハイクや一人旅を繰り返していた。

伊豆半島一周をヒッチハイクした時の事です。
怖いと思う時も勿論ありました。
天城トンネルを抜けるときは、トラックの荷台の山積荷物の上に寝そべって通り過ごしたことでした。

バンに乗せて貰った時には午後四時ごろだったと思う。
戸田の辺りで、その運転手が今日は何処に泊まるの?と聞いてきた。未だ決まってないと言うと、真剣に宿を探してくれた。部屋から海の見える綺麗な民宿を探してきてくれた。あまりに親切なのでちょっと引いたが、何事も無く、本当に親切な人でした。

ヒッチハイクの時は煙草の一箱位用意しておくものだと言う運転手も居た。
総じてトラックの運転手は気が良く、すぐ乗せてくれた。
乗用車は極力避けた方が良いし、あまり乗せてくれない。

赤城山に行った時もヒッチハイクだった。この時は男友達と一緒だった。下山の時高崎まで行く車を探した。
気持ちよく乗せてくれたが、どうも駅へ行く方向ではない。友人とそわそわしていたが、まぁ男二人だからと言う妙な安心感はあった。やっぱり駅に行く方向では無いと分かって運転手に聞いてみた。
一つ荷物を降ろしてから駅に行くのだと言う。乗せる時に言ってよ!とは言えなかった。


会津地方への一人旅は印象深い。
猪苗代湖から会津磐梯へ行くバスを待っていた。発車まで未だ暫くは時間があるが、バスに乗って待つよう指示があった。
運転手と車掌が乗ってきて、若い女の車掌がおばぁちゃんが作ったからと運転手に「笹団子」を渡していた。そして私にも食べるようにくれた。それは新潟の笹団子と同じ作りだった。
全く知らないバスの車掌にこんな事をされたのは後先に無い事です。その日の天気や窓からの景色も思い出すほどの感動である。とても美味しかった。今でもお会いしてお礼を言いたいと思っている。


都内でも電車に乗っていると、このまま何処か遠い処に連れて行ってくれないかなぁとか、銀河鉄道のようなメルヘンチックな思いをする事がある。
ある日の朝、いつものように会社に向かう電車で、無性に旅行に出たくなった。
別に会社に行きたくないとか何かあった訳では無い。
しいて言えば、その日の天気や何かがそうさせたのだと思う。
目的も無く、そのまま新幹線に乗っていた。

途中で萩に行ってみたくなった。途中の駅は何処だったんだろう。とにかく瀬戸内側の駅で下車し、秋吉台をバスで抜け、萩に行った様な記憶がある。
萩に着いて、会社に電話し、二・三日休暇を取る旨連絡した。
壊れかけた土塀越しに夏みかんが垂れていたり、城主を祀るお寺の亀に乗る石碑や薄暗い参道。
萩焼の工房、のんびりした漁港の景色。

此処に来て、漸く我に返った気がした。
二泊三日。宿で売っていた萩焼の気に入った茶入を一つ記念に買って帰りの列車に乗った。
牙蓋と仕覆を誂えこの茶入は大事に使っている。

目の前しか見えなくなる日。
バンコクの人々の働く姿。バリの早朝の海辺。ピーカンの真っ白なゲレンデ。
頭の中を空っぽにしたくなるのは私だけだろうか。今でも・・・・

by higashinuma | 2011-02-25 15:43 | 旅行 | Comments(0)

大炉 その2

火曜日稽古は22日が2月最後。
次は3月1日でもう雛祭りになります。で、吊釜が相応しい季節となるのですが、教室では天井に細工が出来ず残念な事でした。我家は最上階なので、蛭釘を取り付けて貰いましたが、マンションは最初から(建築時)設計に取り込まないと、既存のマンションに茶室を造るのは結構無理があります。

今日は大炉の稽古が最後なので、濃茶、筒茶碗等に挑戦して貰いました。
先ずは留学生の点前
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お客で用が無いときは「あぐら」をかいたり、足を投げ出したりしていますが、一人にお茶を出し、棗・茶杓の拝見、最後の挨拶まできちんと座れるようになりました。
お茶杓のご銘は「新生」でございます。流石に日本語学科生徒。ちょっと感動!今は万物が萌え出す季ですからね。そういえば、先週は枕草子を習っているとかで、ご銘は「曙」でした。

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逆勝手の濃茶に初挑戦。
萩の肩衝茶入は「春霞」銘。仕覆は四座金襴。
茶杓銘は「下萌」
利休の侘びの心「花をのみ待つらん人に山里の 雪間の草の春を見せばや」を説明した事でした。

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職場も遠くなり、仕事の都合でなかなか稽古に来られない悩みをかかえていますが、稽古に懸命に取り組んでいます。筒茶碗も今日で終わりとなります。

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軸は小倉山二尊院寂能の染筆「悠々千古心」
二尊院は嵯峨天皇勅命のお寺でまさしく千年の歴史。
過去も未来も心は変わらないと言う意味でしょうか。好きな軸の一つ。
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お菓子の写真は苦手ですが、少しは見られるかも。
白餡の求肥にきんとんの菜の花、蝶が止まって春らしい意匠です。

by higashinuma | 2011-02-24 09:08 | 茶道 | Comments(0)

椿

茶道では炉の時期(11月初~4月末)の花は椿が主となる。
私は茶花をこのようにしています。
  11月初~12月  椿の蕾に照葉
  12月 ~ 1月   椿の蕾に実の付いた枝物
   1月 ~ 2月   椿の蕾に新芽の枝か梅等の花枝
   2月 ~ 3月   椿のやや開いた蕾に新芽の枝か花の枝
   3月 ~ 4月   椿の開花したものに葉の出た枝
   4月 ~ 5月   椿の開花したものに葉の出た枝
この通りと言う訳ではありませんが、このような考えを下において入れています。
勿論、椿の他に水仙やその他の草花も使います。

椿は約五千種類もの花があると言われます。
古典種は所謂名花として重宝されますが、和名の付いた椿の他に洋名の付いた椿も茶花として使われています。例えばクリスマス茶会にアベマリアの名の椿を使用したり、その場に相応しければ差し支え無いと思います。

椿は挿し木も比較的付きやすく、我家にある白色の椿は挿し木で育ち、翌年には花が咲きました。
そこで、面白い事を発見しました。
去年この椿は細い枝に沢山の花を付けましたが、今年は一つもありません。
去年咲かせ過ぎたためと思われたが、この木の親も今年は蕾が一つも無いのです。親木は去年も例年通りで、沢山咲いていたと言う事はありませんでした。
この偶然とも思える事象に驚いています。

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曙椿は裏千家の初釜で使われる名花です。
曙色がなんともはんなりした品の良い花を咲かせますが、茶席では蕾を使うので開花を見せられなくて残念です。
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光源氏椿です。
こちらも蕾も綺麗ですが、開花するとなんとも豪華な花になります。
例年3月頃に咲きだしひな祭りの頃の茶花に相応しいのですが、今年は一本だけ早くから咲き出しました。

一概に椿を茶花にすると言っても、枝ぶりを選ぶのが大変難しいです。
葉の上に花があるのは勿論・・・名花と呼ばれる椿は大方葉の上に花があり、葉の付き方も見栄え良い・・・
垂れ下がった枝を選んだ場合には、花入れにどうしても垂直に枝が入るので、風情に欠けるむきがあります。

お茶会を開くときなどは、家の椿に頼らず、花屋に向かう事が多いのでは無いだろうか。
名花の椿は一枝に一花で、相当昔の事ですが、白玉椿一本千五百円もしました。勿論、一本と言う訳にはゆかず、数本を買う事になりますが、前日に買って、蕾の状況で、暖かい処に、寒い処にと誰でも一番の気を遣うのではないだろうか。
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白玉椿は白の丸い蕾を言う場合が多いですが「白玉」と言う名の椿がそのものです。

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我家の新品種黒椿系で「小平黒」と言います。4月頃に咲くのでとても貴重品です。

お稽古の日の準備でもやはり椿に限らず、茶花に一番気を遣います。

by higashinuma | 2011-02-21 16:48 | 茶道 | Comments(0)

花月

初心者教室のカリキュラムは花月であった。
平点前は殆ど出来るので、前回より花月の稽古を始めた。

前回は風邪や体調不良、出席コース変更の申込みがあり、Aコースは7人の内、出席は2人であった。仕方なく講師2名が参加して4人で花月をした事でした。

今回は5人揃いコース毎に2回ずつの花月が出来ました。
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Aコース初めての方が3人おられ、時間はかかりましたが、スムーズにいったと思います。
写真は流れの中から撮っているのですが、写真から見た限りとても初心者とは思えません。

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Bコース
偶然にも四客は前に休んだ代替でAコースに続けて出席の生徒です。
折据を箱にして花月札を請う。

床は天竜寺派第七代管長関精拙老師染筆「黙」
「(もく)と読みますが今日は(だまれ)にしましょう」
老師は高僧として名高く、関牧翁(天竜寺派第八代管長)、清水公照(第207世、第208世東大寺別当、華厳宗管長)などの弟子を育てておられます。
因みにこの軸の箱書は山田無文(妙心寺派管長で花園大学名誉教授)が書いておられます。
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花は雪柳に光源氏銘の椿です。
雪椿を使うのは未だ少し早いですが、暮れから咲いている枝もあります。
光源氏は蕾も綺麗ですが、名前のように豪華な大輪の花を見せてくれます。
軸からすると侘介椿のような楚々とした椿が相応しいのですが。

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お菓子は練切「寒椿」。  相変わらずお菓子の写真は苦手。
見目良く、美味しく、安価の条件は中々難しい・・・・・。

互換の機鋒を仔細に看るで、席が騒がしくなる場面もあり、軸を指差す事も笑いにくれたお稽古になりました。

by higashinuma | 2011-02-20 09:21 | 茶道 | Comments(0)

忘れられない思い出 Ⅹ

旅行会社からのダイレクトメールでパンフレットが大量に送られてくる。
家のものがそれを見て、トルコに行きたいという。
確かに安い!会社によって多少のバラツキはあるものの、内容は余り変わらず、使用する航空会社の違いで8日間から10日間の日程であった。燃料チャージ込み十万円を切る大手旅行会社もあった。しかも、五星ホテルで全ての食事、観光付きであった。
「3月後半は学校が休みだし、初心者教室も終わるでしょう?」
何気に心は動くが、一度行ってるしなぁ・・・

それでイスタンブールのホテルでの事件を思い出した。
事件と言うほどの事でもないけれど。

先のパンフレットを見ても成田出発初日イスタンブール着は殆どの航空会社が夜から深夜。
前回も夜。結構遅かった記憶がある。
添乗員の注意があった。「この地はエレベータ表示の1階は2階の意味で0階が1階です」
鍵を貰って早速部屋に直行。エレベータは映画で見たような古い様式(言ってみれば鳥篭のような)で操作方法が分からなかった。
フロントは2階なので、下から上がってきた欧米の人が開けてくれた。
鍵は315。3から始まる番号なので確かに4階と言って渡されたように思う。
4階の指定された番号の部屋に入る。鍵も合っている。

それで、疲れもあってベッドに潜り込んでいた。暫くして鍵をガチャガチャする音が聞こえる。
エッと思って起き上がり、何か武器になるような物を探して待ち構えた。
すると、大きなスーツケースを引っ張って巨大な男がドアを開けた。
私に気が付き、その人は鍵を確かめて帰って行った。
チェーンロックしていて良かった。
暫くしてフロントから電話があり、私の番号を確かめた。その後何か言っていたが聞き取れない。
ドアがノックされ、ホテルの制服を着た多分フロントの人が鍵を交換してくれと言ってきた。

その鍵は415の番号であった。
単純に私が1階間違えた部屋に入っていたのだった。頭が混乱していた。
整理してみるとエレベータは表示と階数が一つずれているが、部屋はそのまま地階が1階なのだ。
ホテルの方が気を遣って鍵(部屋)を交換してくれたのだった。

冷静になって考えてみると、とんでもない事に気が付いた。
315と415は同じ鍵で開けられる事だ。恐らく5系列は1階から最上階まで全部同じ鍵なのだろう。
やはり、何かあったら困るので、この夜は武装して寝た事でした。
翌朝、添乗員にクレームを言った事は当然であったが、若い添乗員は笑って済ませただけだった。
そういえば、1人で部屋に行ったのは自分だけで、他の方達は添乗員が連れて行っていたし、自分だけ上層階の部屋だったのだ。


10万円を切る方は出発日全てが満席になっていたらしい。
他の会社に申し込んだ家のものは気持ちがもうトルコになっている。

by higashinuma | 2011-02-20 09:01 | 旅行 | Comments(0)

忘れられない思い出 Ⅸ

あるブログを読んでいたら、麻生圭子(作詞家、エッセースト)さんが、お茶の稽古で着物の背縫いの切れた話を書いておられたと言う話が載っていた。

やっぱりこういう事は起こるんだと眼にした光景を思い出した。
それは花月の稽古の時だった。
この一年ほどは日程が合わずに伺っていないが、殆ど毎月花月の勉強会が業躰をお招きして行われる稽古場がある。
ここの稽古場は八畳の茶室に大炉を切った六畳次の間と鞘の間、利休堂が隣り合わせにあるため、花月の稽古は全部を開放して、大勢が見学出来るように造られている。

絽の着物を着ていたから夏の稽古だったと思う。私は六畳で見学していた。
丁度、目の前に坐る中年の女性の方が四畳半に進んで坐ったときそれは起きた。
お尻の辺りの縫いが、みるみる切れて、長襦袢が見えている。
見学は何人かいるので、後ろに坐る人は皆気が付いている筈です。でも、何も言わない。
始まって間もない花月が中断するからだろうか・・・・。

坐る度にどんどん開いている。そして花に当たり点前坐に行く時には、お尻のラインが崩れて着物の様相をとどめていなかった。けれども見学者は黙っている。
一通り終わって挨拶の後も誰も何も言わない。
ここで言われたら彼女が恥をかくと思っているのだろうか。
とても見ていられないので、この家の主(主催者)のお嬢さんで、準備等お手伝いしている方にそれとなく伝えた。
男の人に言われたら恥ずかしいだろうし、私も言い難い。まるで、其処ばかり見ているように思われてもいやな気がするからだ。
同性でも電車でチャックの開いている知らない人には教え難いものだ。こういう場合、自分が先に下りるときちょっと声をかけますが。

お尻の破れた彼女はそれとなく呼ばれ、着替えて出て来られた。この家の着物をお借りした様子だった。
そして大声で私の名前を呼んでやや大げさにお礼を言うのであった。
私は顔の赤くなるのを感じながら、言った事が罪のように感じてならなかった。
私が密かに伝えたのを、彼女は気が付かなかったのだろうか。他の人は何故教えなかったのだろうと疑問だった。良く思えば彼女の照れ隠しともとれるが。
お礼を言うなら出来れば、こそっと言って欲しかったし、この家のお嬢さんには私の名前を言って欲しくなかった。
夏なので、羽織や道行を着る事もなく、本人が気が付いてなければ、そのまま帰られた筈だ。

花月の稽古は立ったり坐ったり、お辞儀も多く着物にはかなりの負担がかかります。
私は普通どおりに着ますが、終わった時には、はだけて多少哀れな姿になる事もあります。

このブログでは、ゆったり着る等といろいろ書いておられたが、お茶の方は多くの方がゆったりと着られているように思いますが、身幅が合わず、だらしないと思う事もある。
夏の薄物は男子の場合、背に一枚縫い合わす場合もありますが、私は嫌いなので透けない薄物の長襦袢を着るようにしている。脱いだ後には背縫いをしっかりチェックしておきたいと思う。

別の話で、街で若い男子が絽の着物に夏羽織を着て歩いておられた。半襦袢に下はステテコだった。せっかく夏羽織まで着ているのに薄物を透けてステテコが何とも戴けない姿であった。
薄物を着て日差しの中に入る時等は全部透けて見えるので、気をつけたいと思う。

by higashinuma | 2011-02-18 09:12 | 茶道 | Comments(0)

忘れられない思い出 Ⅷ

前回、トイレに苦慮した話でしたので、ついでに・・・・

中国編
皆さんが耳にしているように中国のトイレは他の国とかなり異なる。
何回目の中国旅行だったろうか?
北京市内から万里の頂上の一番近い観光地「八達嶺」は今では高速道路が整備され約2時間程度で行かれるが、初めて行った頃は北京市内から約半日ものバス旅行だった。
狭い石ころがゴロゴロしている田舎道だった。

万里の頂上に着いた頃にはお腹がゴロゴロしだして急にトイレに行きたくなり、公衆トイレに入った。
そこで、唖然とした!トイレには囲いが無く細長い水の流れた側溝にお尻を向けて、通路側に向き用便を使うのでした。我慢できず、みんなのようにして用便を済ませる。
終わって、恥ずかしい等の気持ちより爽快感でいっぱいだった。勿論、用便を済ませた爽快感もあるが、それより精神的に開放された気がした。
この頃でも白人系の観光客は多く、何しろ世界中に知られた万里の頂上と言う観光地で、こういうトイレが存在している事にも驚きだった。

このトイレは麗江でも使うはめに。
世界遺産に登録された後の麗江には街の中に観光客がかなり多い。例えば浅草寺の仲見世状態であった。都合三回行っているが、いつも人が多く、西欧人の他に中国人観光客もかなりの多さだ。

この時は知り合いの中国人も一緒だった。トイレに入って用便をしていると、彼が入って来た。万里の頂上よりはかなり狭く、水も流れず汚いトイレだったが仕方ない。それで、彼は話しかけてくる。
日本でもトイレを使いながら話す事は殆どしないので嫌悪感を感じた。
考えて見ると万里の頂上では、見ず知らずの人ばかりであったのに、今は知人が居る。
それより以降、トイレに入る時は彼に荷物を持たせ、トイレの外で待ってもらうようにした。

こんなに観光客が来るのにと、中国人のトイレの考え方を思い直した。
生理現象であるし、人間本来のものだからと言う事が表面にあるような気がします。
古い民家では寝室に夜のトイレとして便壷を置くようだ。朝に川でそれを洗う。映画に上海の上流階級の娘が普通の家族の所に嫁に入って、このトイレを嫌うと言う場面があったので庶民のものだったのだろう。
笑い話のような事で、骨董店で清朝の壷として買ったのが実は便壷だったと言う笑えない話もある。←私ではありません。

トイレは日本人が温泉で素っ裸になるのと何ら変わらない感覚のようです。
2011年の今もってこのトイレは存在します。
勿論、ホテルやデパート、ファーストフード店等では西洋式の水洗トイレが完備しています。
しかし、トイレ個室の中に大き目の篭がある場合やトイレットペーパーが赤い場合は、用済紙は流さないで篭に入れます。一緒に流すとトイレが詰まって大変な事になります。話に因るとパイプが細いらしい。
これは、東南アジア、ブラジルなども同じで、パイプの都合の他、汲み取り式或いは穴を掘っただけで、すぐに満杯になるからとの事でした。

おまけ
ヨーロッパのトイレは便器が高く造られています。体格に合わせているのです。足の短い人は子供用便器へ。
バスタブが大きいのは助かりますが。

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中国人は向日葵の種が大好きみたいです。2人で食べながら作ったハートを見せてくれました。麗江で。

by higashinuma | 2011-02-16 20:02 | 旅行 | Comments(0)

忘れられない思い出 Ⅶ

最近は海外何処に行っても日本人に出会う事が多い。
出遭った相手もそう考えているのかも知れないが、海外に来ている感覚がそがれてしまうような事もある。
街でその国の人と交流出来た時の感動もいつまでも忘れがたい。

パリ・ロンドン編
初めての海外旅行はパリとロンドンでした。
パリに同じ絵画グループ所属の方が在住していて、その方を訪ねてと言う設定でした。
アンカレッジ経由の16時間のフライトの時代です。

その方のパリのアトリエでは奥様がお握りをふるまって下さり、機内食に飽きたお腹を満たしたものでした。
結構フリータイムがあり、ルーブル美術館等はゆっくり観て回れたし、本物の彫像ミロのビーナスや絵画モナリザを前にスケッチや模写が許されている事に驚いた事でした。

夕食に入ったレストランで覚えて来たメニューを言っても無いと言う。メニューは手書きなので全く読めず、ガイドブックを開いて「これ」と言っても首を横に振るばかり。困っていると、隣の席の小父さんが「ブフ」と言って教えてくれました。「ブフ」はビフテキ。すっかり感激して小父さんに「メルシー」の連発。一緒に食事しながら、ガイドブックを開いて日本の事やパリの事を教えあって食事をしました。フリータイムに所謂、フランス料理と言うものにはありつけなかったが楽しい思い出です。

カフェで珈琲を飲んで、支払うのにドルしか持って無く、ドルで支払うと、計算出来ないからといって、隣の店に行ってお釣りを持って来てくれた。ホテルの部屋で今日の清算をすると、珈琲代は支払って無いどころかお金が増えていた。明日はロンドンに行くので店に返しに行く事も出来ず、ありがとうと言う事になってしまった。

同行の小母さんは和服でパリを歩いていたが、ノートルダム寺院の鐘楼に昇り、黒人にドアを閉められてお金を取られたと言っていた。海外旅行と言うと着飾って行く人が多いけれど、それはホテルのディナーに行く時くらいで、街に出る時は普段着が好い。

パリの地下鉄では小銭が無いとチケットを売ってくれなかった。乗らないと帰れないので仕方なく、通りすがりの小母さんに両替を頼んだ。小母さんはチケット(回数券?)をくれた。嬉しくなって要らないと言うのを半ば無理やり大きいお金を上げた事でした。本当に嬉しかった。
交通機関のトイレは殆ど有料で、小母さんが番人をしているのですが、小銭が無いとちょっと大きなお金を受皿に入れて受皿にある小銭を持って来る。小母さんは睨んでいますが、かまうもんか。最近慣れたテクニックです。

ロンドンの地下鉄はかなり深い。テームズ川の下をもぐるからだろうか。
あるとき、地下鉄を降りて階段を登っていると、若い女子が早足で階段を降りてきて、踊り場で転んだ。
彼女はすぐ「アイムソーリー」と言って起きた。やはりマナーの確りした国と感心した。

地下鉄から外に出るとロンドンの霧が少しかかっていた。車が止まって道を聞かれたが、勿論知らないと答えるしか無い。

サンパウロ・リオ編
リオデジャネイロはもう一度行きたい街の一つ。住んでも良いかなとも思う。
観光ガイドが言うには、この街の人はみんな馬鹿だと言う。
「暖かい処だから、食べるものは山に行けば豊富にある。着る物はシャツとパンツで足りる。だから働かなくて良い。」なるほど。寒冷地に行くほど、貯蔵しなければ冬はひもじい思いをするし、着る物も要る。

この街に王立植物園があり、こういう場所は美術館の次に好きです。
例のごとくふらふらやってきました。殆ど人影が無い処で黒人が数人、園内のマンゴーを採って食べていました。そのとり方が面白く暫く見ていたら、沢山持って来て食べろと言う。彼らがやっているように、服で汚れを落とし、齧ってみると本当に美味しい。お礼を言って写真を撮り送るからと、住所を書いてもらいました。
あぁ読めない。写真はそれを封筒に貼り付けて送りましたが、届いたものか。
でも、木陰だし、その黒人達だけなので、内心は怖かったのです。

四年前にこの地(在サンパウロ郊外)で亡くなった兄は、中心部に行く時には黒人をガードマン兼運転手としていました。それで言うには、問題発言かも知れないけれど、「黒人は怖くない、むしろ半黒(褐色系)が悪い事をする」と言ってました。リオもサンパウロもいろんな人種がいます。それだけ街には美形が多い。
兄の紹介で、スーパーを経営している日本人の処に挨拶に行きましたが、私が帰国後、強盗が入り、射殺されたとの連絡がありました。

公園で急にトイレに行きたくなり、近くの人にトイレと言っても分からない。彼らは私が中国人と思ったらしく、中国系の人を連れて来たので、厠と書きましたが分からない。困っているとようやく添乗員が来ました。トイレは「サニタリオ」です。今でこそ「サニタリー」とか言いますがね。二度と忘れられない言葉です。

by higashinuma | 2011-02-14 18:31 | 旅行 | Comments(0)