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つれづれ

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地震から九日

地震から九日目の19日は初心者教室
今月で終了のため、先週お休みの方の代替稽古もあって延べ23人の出席となりました。

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「柳緑花紅」大徳寺派瑞光院前田宗源和尚の染筆
萩耳付花入れに雪柳と諸葛菜をいれました

「こんな時にお茶の稽古」と言われる方も居られますが、茶道を遊びと考えるなら確かに「こんな時に」になりますが、歴代宗匠方がお茶は遊芸ではないと戒めておられます。
戦時中も薩摩芋のお菓子でお茶の稽古をしていたと耳にしますので、やはり遊芸では出来ない事でしょう。
一方、何故数百年も続いているかを思えば解るのではないだろうか。

中国人留学生がここに来ると安らぐと言った事が励みになります。
和敬静寂の世界がここにはあると思うのです。

それにしても、計画停電が土曜日は無かったのでほっとした。
この地域は必ず停電になるとの事でした。
火曜日教室は夜稽古をお休みにしています。帰り道に電気の消えたビルや数十階の高層マンションを見上げて上層階まで歩くのかと気の毒に思ったことでした。
by higashinuma | 2011-03-23 19:05 | 茶道 | Comments(2)

地震翌日の稽古

地震翌日は初心者教室
家の者は「え~今日行くの!」
いつものように朝7時には家を出る。
小田急線は余り待たずに来る。登戸から南武線は8時頃に始発が出るとアナウンス。停車している電車に乗る。これなら間に合う。
けれど、8時頃が8時台に変わった。席を立った人が居て運良く座れる。じっと我慢。トイレも只管我慢。
漸く、8時20分頃に発車。安全確認の為に踏み切りは一時停車すると放送があった。
結局いつも約30分が1時間かかってしまった。

急いで床を整える。
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軸は8日に使ったものと同じ「一期一会」井伊直弼の話をする。
花は三椏と乙女椿。今年の三椏は二週間くらい遅れているようだ。

軸は教室に置いてあったので、助かったが、今日は最終日に使う道具特に水指を持って行った。
横軸を持っての今日の電車は顰蹙ものだったろう。土曜日なのに何でこんなに混む?

午前中は一人の生徒だけだった。
お茶会で点前をする生徒だったので、早速本番の道具を使ってお稽古する。
取り合わせはなかなか決まっていると自負。

午後はBコース2人。Cコース3人(代替稽古で続けて出られた方もいます)
帰りの電車で何気にメール確認したところ、B、Cコースの方が3人午前中に出したメールが入っていた。
今日は稽古がありますかの問い合わせだった。
午後に見た時には無かったメールだ。

日曜日も土曜日のメールが入った。
auショップにクレームに行った。
こういう事態ではやむを得ないと思うのだけれど、相手の送信記録は残っても、受信時間は表示されない。
これでは、メールを無視していたと思われても仕方無い。
受信記録を証明する方法は無いと言われたが、こういう事も在り得る事を示して欲しいと伝えて店を出た。

携帯は便利です。確かに。
家の者が怒られてプイと家を出て行った。暫くして、迎えに来ての電話。道を間違えて何処に居るか分からなくなったとの事。電柱の住所を聞いて仕方なく迎えに行った事も。
この時は未だナビ機能が無かった。ちょっと笑えるような話だが、便利に使えた。

でも、今回のような事態になると、全く用を為さない。何処の会社の携帯もそうらしい。何とかならないものか。
by higashinuma | 2011-03-15 21:25 | 茶道 | Comments(0)

東日本大地震

被災の皆様にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々にご冥福をお祈り致します。

この日、いつものように昼寝から覚めて、今回受賞の直木賞作品を寝転んで読んでいました。
十階では何かにつけ揺れています。例えば大風の時も揺れています。それで、いつもの地震ではそんなに動揺しないのですが、今回は長く揺れていた事と次第に揺れが大きくなったため、これはヤバイかも知れないと、通路に出ました。ドアが開かなくなると言うからです。
事実、大風の日にドアが開けたとたんにもってゆかれ、ドアノブで外壁に穴は明くし、閉めたら今度は開かなくなり、消防署に来てもらうという苦い経験もあります。
消防車、救急車、警察署がセットで来る訳です。
それで消防署員が二人、窓から室内に入り開けて下さいました。

通路に出たのは十階は一人だけでした。九階以下からは人の声が聞こえますので、何人かは外に居るのでしょう。その内更に揺れが大きくなり、片スタンドの自転車が倒れた時にはビビリました。立っているのも不安でドアノブをしっかり握りしめていました。
けれど、十階の人は誰も居ないのだろうか?
隣の奥さんはお腹が大きく、その数日前の地震で怖かったと言っていたから、声をかけようかと思ったが、やめた。
揺れも落ち着いて、家に入ったら、滅茶苦茶になった部屋、棚が15cmも動いた部屋(そのままでは重くて元に戻せない)、CDが棚に沢山並べてある部屋は大丈夫だったし、一番心配した食器棚も無事だった。茶道具も釜や木製釣瓶の水指、籠花入れが落ちていたが、茶碗等は大丈夫だった。
落ちた物の中身は見ていないが、それぞれ箱に入っているので、大丈夫でしょう。
お風呂の水が揺れで溢れて、流し場に置いた洗濯物(籠にかけて干していた)がびしょびしょ。
薬缶が落ちて絨毯もびしょびしょ。

夕飯の仕度時間になり、今日はフライ物を予定していたが、余震が酷くこれは火を使うのは止めようと、スーパーに惣菜を買いに行った。
見事に売り切れ、漸くロースとんかつ二枚をゲットした。
家の者は渋谷から歩いて帰って来た。最初バスに乗ったらしいが、二停留所を1時間かかったらしく、降りて歩いたらしい。
ガスはマイコンが働いて止まっていた。隣もランプが点灯して止まっている事を示していた。考えた末に隣に点けてやろうと言いに行ったらご主人が出てきた。帰ったばかりだとの事。奥さんは昨日、実家に帰った事。
車が渋滞している事など話した。先ずは安心した。
その後、仙台の甥や実家に電話したが、携帯も固定電話も全く用を為さなかった。
実家の甥の娘にメールして漸く仙台の甥も無事である事が確認出来たのは翌朝だった。

1964年(昭和39年)6月16日13時1分41秒に発生の新潟地震を思い出した。
私の通う鶴岡市内の学校は、この日何かの行事でお昼で終って帰る途中だった。
奥羽線の陸橋を下る時だった。頭が変になったと思った。自転車を降りて蹲った。
この近くの学校の生徒が校庭に飛び出してきた事で地震と分かった。それからが地獄絵だった。
電柱が地面に着くほどに揺れ、地面からは砂や水が噴出した。川の水も揺れて溢れていた。

急いで家に帰り、家族の無事を確認する間もなく、パン屋に走った。パンを全部買い占めた。
これは正解だった。何しろ家は壊れて、中に入れない。トラックで田圃の中に出て、この日はここで寝た。
当然煮炊きは出来なかった。その後、家がなおる迄、倉庫での生活だった。今は建て替えて昔の面影はない。

今回は津波による犠牲者が多かったが、新潟地震では地割れに挟まれて死んだ学生や煙突が折れて落ちて亡くなった方。新潟からは特急列車で2時間かかる地域でこの有様だった。

今日は地震から5日目。原発が酷い事態になった。
会社の子会社があって、毎月出張していた時に眺めていた処だ。
会社のみんなは無事だろうか。一人一人の顔を思い浮かべ、今は無事を祈るばかりだ。
by higashinuma | 2011-03-15 16:35 | 所感 | Comments(0)

忘れられない思い出 12

初めての中国旅行は凡そ30年前。
その当時は一人参加でも未だ相部屋で大丈夫だった。
今のように一人部屋料金の設定等は無かった。当然の事ではあるが。
・・・今もって何故一人部屋料金が発生するのか私には理解出来ない。
添乗員付きの約一週間の旅程だったと思う。
羽田に集合し、添乗員の挨拶と参加者の紹介があった。
現在のように、現地に着いて初めて参加者が分かるといったような事は無かった。
その点飛行機の中でも話が弾んだような気がしている。

飛行機の隣の座席はいかつい男だった。角刈り頭で気難しそうな、言ってみればややヤー公系の男だ。
離陸して間もなく、その男は座席に正座して、持参の「枕草子」を読み始めた。
誰でも気安く声をかける私もちょっと引いていたが、黙っているのも窮屈なので
「学校の先生ですか?」
その男「いや」無言が続いたまま、北京へ着いた。

私の相部屋の男はこの人だった。ちょっと気落ちしていた。
当時、北京市内から万里の頂上迄は半日くらいかかっていたため、郊外のこの近くが宿だった。
中国風のホテルで噴水のある中庭を囲み、宋や明の頃の建物の様相でとても雰囲気の良いホテルだった。
ガイドは源氏物語を原文で読むと言う北京の美人。
ずっと話し込んで、お客の顰蹙をかったりした。この人とも次の旅行で案内して戴いたり、暫く連絡をとっていた。

一緒の部屋では風呂の事や何かと話さない訳にも行かず、なるたけ声をかけるようにした。
その男はポツポツと話して、紙の問屋で書道用品も扱っている事が分かった。
私は書道をやっていた時代なので、いっきに打ち解けた感じがある。
以後の旅程はとても仲良く過ごした。
故宮に行った時にやはり一人参加の若い娘さんがフィルムを切らしたので、予備に持っていたら分けて欲しいと話しかけてきた。この娘と添乗員そしてこの男と4人はいつも行動を共にした。

帰国後もこの人達とずっと連絡を取り合っていた。
この男は結婚して子供が3人居たが、若い娘が好きだったと後で聞いた。まるで一目ぼれで、フィルム以降私とこの娘は仲が良かったから、この男はその目的も果たそうと、余計私と仲良くしていたふしがある。
美人で屈託が無かった。この旅行は恋人と別れて傷心の旅だと言った。
お茶も習っていて、茶会にも来てもらったり、彼女の家でご馳走にもなった。
私はこの旅行に大阪から参加していた初老の夫婦や若い夫婦と仲良かったので、かなり暫く連絡していた。

この若い娘さんも結婚してパリに住むようになりお子さんも出来て連絡が途絶えた。
大阪の夫婦はご主人が亡くなり、小母さんとは毎年今も年賀状を交わしている。

その男の家にも皆で遊びに行った思い出がある。当時小学生低学年の長男もお子さんがいる年になった。
今は孫の話と変わったが相変わらず、連絡がある。根がまじめな男で還暦を超えた今も勉強を怠らない。

その後も多々旅行しているが、この男程の付き合いは未だ無い。
出会いが出会いだけに印象深く忘れられない思い出ではあるが、無二の友達とは着かず離れずのこの距離が良いのだろうか。まさに友を選ばば書を読みてである。
by higashinuma | 2011-03-11 09:22 | 旅行 | Comments(0)

点前

火曜日教室は留学生新人二人の濃茶点前の割り稽古と古参の方には「流し点て」の稽古をした。
一人は「流し点て」に「絞り茶巾」を組み合わせた点前をした。

教室の筒茶碗は黒楽。普通の抹茶碗より口が狭く、どうしても湯がこぼれます。
客一人で一点前だと都合、四回湯水を入れるが成功したのは一度だった。
すし屋の湯飲みを貰って勉強されると良いとは言ったものの、我家の赤楽筒茶碗しか自分で点前した事がないため、この茶碗でと言われると私も自信が無い。

夜の教室は今日は一人。それもいつもより30分早く来てくれた。
薄茶(「流し点て」)が初めての点前と言っても、ベテランさんでは坐る位置、道具の位置等一言で足りる。
この方は注意された事を必ずやり直して、じっくりとお点前をされるが、それでも、いつもより早く閉めることが出来た。

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今日の床は大徳寺黄梅院太玄和尚染筆「一期一会」
花は木瓜と曙椿
朝、窓を開けたら木陰に丁度手頃のがあった。写真では気付かないけれど葉は五枚あります。この椿は葉と花のバランスがとてもよく銘花と言われる由縁でしょうか。
3月ともなれば、この位の蕾が合うと思いますがどうでしょう。
花入れが黄交趾、花も真に見えますので、矢筈板に載せ軸の真下に置いた方が良かったかも知れない。


留学生の子が苺を持って来た。
「教室にも(いちご)があるよ」
「ん?」
「良く看てごらん」
「あっ!食べられないいちごだ」
坐り疲れてきた頃にテーブルを囲み、みんなで戴いたことでした。
by higashinuma | 2011-03-08 23:02 | 茶道 | Comments(0)

道具との縁

火曜教室は3月1日。
再度、雛の短冊にしました。
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山茱萸(さんしゅゆ)と光源氏椿
家の近所の畑に垣根のようにして植えてある大きな山茱萸があります。今は色の少ない未だ枯野の雰囲気が漂う畑を黄色の小花が賑わしています。この畑には花桃が数本植えてあり漸く蕾の一、二個がピンクに膨らみ初めました。毎年この山茱萸が欲しいと思いながら、下枝は横に張っているので、花入れに挿すには難しいと諦めています。ここに挿した枝は誰かが置いてくれました。
椿はそろそろ蕾からやや開いたのを使いますが、茶室の中が暖かなので、夜稽古の時にはすっかり開いてしまう時があります。光源氏椿は開いた姿がとても美しいので、時にはそのままにしています。

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お菓子は桃。餡は白餡に桃の果肉が刻んで忍ばせてあります。
東京でもたまに見かけますが、田舎では「雛菓子」と称して鯛を模った落雁に餡の入った大き目(塩釜落雁等の数倍の大きさ)のものや、おめでたい物の形のお菓子が並びます。
この桃はそんな雛菓子のイメージで選びました。

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好きな茶碗の一つで、この時期に使っています。
福寿草と名前が付いています。下の銀の部分が残雪を表し、春草をあしらっています。
掛分に魅了されました。この作者は京都の茶道具作家で、作品に品があるので好きな作家の一人です。
今はデパートも茶道具売場を撤退し、少なくなりました。そんな中、さるデパートの食器売場のショウケースに飾ってあったのを見て「欲しい!」と思いましたが、いつも衝動買いをしてしまうので「ぐっと押えて」次に来たときに売れていなかったら買おうと決めました。
このデパートはいつも行く繁華街とは逆方向で殆ど行く機会はありません。けれど、一ヶ月後何かの用が出来て、この街方向に行く事になり、かのデパートを覗いてみました。
そのままこの茶碗が飾られてありました。本当に欲しいものなのか自問し、買う事にしました。
道具も縁ですね。この茶碗を見る度に思い出す事です。

いつも顔を出すある茶道具店のケースに大西(釜師)の蓋置があり、珍しいし買いたいけれどと暫く見とれて結局諦めました。数日経ってどうしても欲しくて、店に顔を出し、ケースに無かったので「あの蓋置は売れましたね」とぼやいていましたら、店員が「取ってありますよ」と出して来ました。「多分、欲しいんだろうと思って」と言われむず痒い思いをしながら買った覚えもあります。

別の店での話し。展示会で御本茶碗を見つけて迷った結果買わなかった。
この時には茶友が一緒で、この方はそんな事は無いですが、人によって茶会のときに「この茶碗は何処何処の店で幾らで買ったのだ」みたいな解説を付けられるのが嫌な事もあった。大宗匠のご銘がある茶碗で、手持ちの大宗匠好み「山里棗」に取り合わせるにはこれほどピッタリのものは無いと思われた。どうしても欲しくて翌日出かけたが、売れてしまっていた。これは縁が無かった事例です。
以後、茶道具屋に行くのは案内する以外、必ず一人で行く事にしている。
by higashinuma | 2011-03-03 10:20 | 茶道 | Comments(0)

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