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8月31日
「美味しんぼ」は大好きな漫画の一つ。
この前これを読んでいたら「丿貫」が登場し驚いた。

丿貫(へちかん、べちかん、生没年不詳)は、戦国時代後期から安土桃山時代にかけての伝説的な茶人。
手取釜一つで雑炊も作れば、茶の湯の釜にも使うと言う利休とも親交のあった人物。
これを知っていたので、現代を設定している漫画に、突然こういう人物の登場は漫画たる所以で面白い。

簡略に話すと・・主人公の懇意にしている小料理屋に行くと、そこに丿貫が現れて、水を所望する。何をするかとついて行くと、浮浪者相手に茶を振舞うのである。その小料理屋の水は毎日、山から運んで来る水で、丿貫は良い水の匂いがしたから分けて欲しいと来たのであった。

利休との係わりもこのような話が残る。
山科に茶人が居ると言うので、訪ねてみると、道端の埃の浮いた水溜めがあったので、利休は帰ろうとしたが、呼び止められて、これでも帰るのかと裏の山から引いた筧を見せられて茶を戴いたと言う話である。

この漫画では丿貫の「もてなしかた」の心を解いている。
利休が丿貫に招かれて、露地に入った時に落とし穴に嵌り、泥だらけになったのを、風呂を沸かし衣服を整えて、お茶の接待に預かった話である。利休は落とし穴を知って落ちたとされる。

先日、朝茶の時は私は現地で着替えをさせて戴いたが、冷たい濡れタオルを持参していた。やはり、道中汗、埃をさっぱりしての茶席は清涼感が違う。丿貫はそれを千も承知でもてなしたのである。

漫画では、別な日に丿貫を山中の寺に訪ね、雑炊をご馳走になり、その釜を洗って、今度はお茶を戴くのであった。
丿貫の狂歌「手とり釜おのれは口がさし出たり、増水たくと人にかたるな」が残る。

漫画「美味しんぼ」作者「雁屋哲」自身もエッセイ「美味しんぼの食卓」で「水ぜいたく」を書いておられる。丿貫のこのような話も現代に交えて描かれる恐るべき「雁屋哲」である。

「美味しんぼ」はいつから連載されているのだろう?
会社で、毎回この本を買っている知人が居て、借りて読ませて貰った。料理のヒント等をメモしていると言っていたら、ある時数十冊を呉れた。その本はクローゼットの奥に残って多分十年は経つ。料理漫画の先駆者として素晴らしい功績だと思う。

手取釜で雑炊を作るのは、茶飯釜も同じ。茶飯釜を炉(風炉)に掛け、客の前で飯を焚く。やがて懐石に移り、その後釜を洗いお湯を沸かして茶を戴く。
鉄釜、炭火で炊いた飯がまずかろう訳が無い。丿貫が基になっているのだろうか。

同じような内容で粟田口善法(生没年不詳)が居る。村田珠光の門人で、室町時代中期の侘び茶人。
やはり手取釜で雑炊も作り茶の湯のお湯も沸かしたとされます。
と言う事は丿貫 (生没年不詳)の先駆者が居た訳です。

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写真は佐藤清光の手取釜ですが、我が家には高橋敬典の手取釜がある。
大寄せ茶会で茶箱点前の時に鉄瓶として使用したが、稽古している鉄瓶よりふたまわりは大きいので、重い。柄杓で茶釜としての扱いが基本である事は間違いなく、吊り釜としても使用出来る。しかし、雑炊はどうだろうか?出来ない事は無いと思うが、煮えるまでは注ぎ口を塞ぐのだろうか?
あれこれ想像が楽しい釜である。


※丿貫逸話
1、北野大茶の湯で大きな朱傘を立て、秀吉の目に止まって、以後丿貫は諸役免除の特権を賜ったという。現在の野点で朱傘を立てるのは、この故事からか。
2、雪駄も丿貫の工夫とされる。


「釜一つあれば茶の湯はなるものを数の道具をもつは愚かな」

これは利休百首ですが、まさしく丿貫のもてなす心を現わすものではないでしょうか。

by higashinuma | 2012-08-31 17:46 | 茶道 | Comments(0)

陸羽

8月30日 うんざりする暑さだ。

筆記試験に「茶経」と「陸羽」の問題を入れた。
「茶経」は何時代に書かれたか?
1、唐 2、宋 3、明 4、元   正答率30%

「茶経」を書いた人は?
1、栄西 2、利休 3、陸羽 4、華洲  正答率50%

茶経は、中国唐代に陸羽が著し、建中元年刊行された唐代と唐代以前の茶に関する 知識を系統的にまとめた世界最古の茶書です。
茶道に関わる者として、この位の知識は持っていた方が良い。

私が陸羽に 興味 を持ったのは、恥ずかしながら茶の所以では無く、唐代の官吏の顔真卿と言う人物に係わりがあったからだ。

書道を学ぶ基本は欧陽詢の楷書『九成宮醴泉銘』王義之の行書等の古典籍模写から始まるが、ある程度進むと顔真卿の「告身帖」等が含まれる。
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横画が細く縦画が太い特徴のある書体である。
顔真卿は中国唐代の屈指の忠臣と言われ、最後には斬首されるが、「質実剛健」の生き様に共感し、書体を敬愛する人が多く、日本でも「明朝体」の書体として、活字に採用されています。
上に上げた書は唐の建中元(780)年の作。
「自書告身帖」「自書吏部尚書誥」ともいい、建中元年に顔真卿に太子少師の官が授けられた際の辞令である。顔真卿は辞令を発行する吏部尚書であったため、自身の辞令を自書したものといわれる。

陸羽は唐代末期の戦乱を避けて現在の杭州に来て、当時の地方官であった顔真卿に見出され、その才を発揮したようです。

去年、杭州の旅行で中国茶葉博物館に案内されました。
江南を巡るツアーなので、恐らく陸羽を知る人等居なかったであろう。
この中の一室でお茶の試飲と販売があり、それで時間切れでした。
陸羽に関わる資料や龍井茶の地元、茶の加工過程等が展示されていた筈ですが、残念な事でした。
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茶葉博物館のある地の見事な茶畑
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陸羽像

「茶は南方の嘉木なり 」ではじまる茶経三巻十章は茶を作る、道具、嗜む、効用等広範囲にわたります。
『茶者。南方之嘉木也。一尺二尺乃至数十尺。』
茶は、南方の嘉木なり 。1尺2尺乃至数10尺。
数10尺ある茶の木はタイ東北部のチェンライ山中で見た事があり、初めて見るので驚いた事がある。

一方、唐の都西安の法門寺の仏塔が倒壊し、その地下から貴族に因って納められた数々の中に茶道具があり、陸羽の書籍にある唐代の茶の道具がより鮮明になりました。
日本でもサントリー美術館(赤坂見附時代)で公開され、豪華な舎利容器と共に目を見張ったものです。

by higashinuma | 2012-08-30 16:27 | 茶道 | Comments(0)

甲虫(かぶとむし)

先週、甲虫が死んだ。
飼い始めた時、どれくらい生きるの?と聞かれて、一カ月位じゃ無いかな。と答えたその通りになった。

プラスチック容器に入れられ、かなりストレスがあったと思う。
西瓜やメロンを与えると、喜んで食べているようだった。けれど、容器が異臭を放つので、途中からはカナダ直輸入のメイプルシロップを与えた。直輸入と言うのはカナダ人の知人のお土産と言う訳。
だから、我が家で一番贅沢していたはずだ。
毎晩寝る前に容器を洗い、シロップを与えるのが日課のようになっていた。
昼は死んだように動かないが、夜になると動き回りカサカサ煩いので、玄関の風通しの良い場所に置いた。

最初、生きているか死んで居るか分からなかった。6本脚を胸、腹の上に折りたたみ、びくともしない日が二日続いて死と判断した。
拾ってきた処の草わらに置いて葬送とした。

僅かな期間でしたが、我が家に幸せを運んできた甲虫でした。

by higashinuma | 2012-08-29 22:04 | 所感 | Comments(0)

8月も最終

8月28日八月最終の稽古日
多くの先生は八月の稽古はお休みか月三回稽古を減らしておられると思うが、生徒が休まないと言う事でいつものように月四回稽古を行う。(土曜日教室は生徒の希望で月三回稽古で八月は一回お休み)
暑いと言いながらも、もうすぐ九月。まだまだ残暑は厳しいけれど、陽射しの移動や空の様子がかなり変わってきている。

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この掛軸も今日まで。来週は何を使おうか?
何人かは言葉の意味を調べて居られる様子。まずまず重畳。
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女郎花、吾亦紅、白乱槿を鶴首籠に
吾亦紅を吾母紅と教えましたが、正式には吾亦紅のようです。しかし、吾母紅と書いている方も多く居られます。
槿はもう少し大きい花だったのですが開花の6月頃に比べて、次第に花が小さく咲きます。ずっと雨が降っていないのでその影響もあるのかも知れない。可愛いけれど何だか哀れな感じもします。

生花をやってみたいと言う留学生が居て、茶花を挿すと花を活けるとの違いを説明し、薄板や花入の種類、花の入れ方に真行草のある事を話した事でした。日本語でどれだけ理解しているか分かりませんが。

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今日は二人を除き、全員「貴人点」の稽古でした。
貴人に法なし、早速胡坐です。でも、稽古を初めて四回目?無理も無い事です。
まぁ、貴人として座るからには、貴人としての素養が要りますね。
現皇太子がアメリカに行って大リーグを観戦しながら、ハンバーグを召し上がった時の話をした事でした。

私の見過ごしが多分にあるけれど、裏千家の場合、この点前で茶を献じた事を拝見した事が無いように思われます。近くではブータン国王の来日、過去では三笠宮殿下、ダイアナ妃等々

「諸流が考案した貴人点前は、ある時代・ある立場において、その流派を支持してくれる大切な人々の目線を尊重し、最善のものを追及した結果である」茶の湯文化学会の会報No.59の岩田澄子氏報告より
ここにはこれだけを上げておきますが、この会報は捨て置けないと思います。ご一読を。

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研究会で濃茶点前に出場予定。
回りに気を配るのは大事な事ですが、それでもスラスラお点前が出来なくてはなりません。難しく言えば不動の精神ですか・・・なんて偉そうな事を言ってますが。
途中で次は何をすれば・と考えるようではまだまだ勉強不足。どうも回りの話に気が行っているようで。
手はとても綺麗なんですよ。それを大いに生かしてほしいんだけれど。

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京都長久堂の花暦(色違いで味が違う)と熊本丸屋の松風
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笹屋伊織の鴨のながれ 柚子の香りが美味しい。

稽古後に梅酒の梅で作りましたとパウンドケーキを持っていらした生徒が居て、今月、誕生日の生徒と美味しく戴きました。我が家の梅酒の梅も上げるから、宜しくです。

by higashinuma | 2012-08-29 08:56 | 茶道 | Comments(0)

前川佐美雄

8月28日 エアコンのない就寝にも慣れてきた気がする。
丑三つ時の無風状態に陥る時間も目覚めずに済んだ。
しかし、朝は日の出からの太陽が若干短いカーテンの裾より照りつけ、暑いのと眩しいので目が覚めた。
6時40分位。後少し眠たい。カーテンの長さは多分標準。サッシの枠や障子の下地板で普通なら完全に灯りを閉ざすのだが、全開の窓。その隙間に何か置いては風が通らない。

私の所属する会とは異なるけれど、日本歌人と言う前川佐美雄主宰の会に何度かお邪魔した事がある。
ご縁で前川佐美雄、夫人の前川緑、ご子息の前川佐重郎も存じ上げてはいるが、前川佐美雄が亡くなって以後はお会いする機会も無くなって久しい。
奥床しいと言うか品のあるお人でした。

前川佐美雄(1903~1990)は歌一筋を生活基盤としてきたと聞く。
与謝野晶子の活躍していた時代とは違い、到底生活出来るような時代とは違う。歌人と言っても大かたは生活基盤を他に持っている。例えば教師であったり。

冗談かどうか知らないが、唯一仕事をしたのは学生アルバイトで遺体処理をした事と聞かされた。解剖した遺体を始末する仕事だったらしい。

五島美術館への下車駅「上野毛」駅で、改札に入る時に出て来られたご夫妻にお会いした。茅ヶ崎から五島美術館開催の「紫式部日記絵巻」展(確かそうだった?1985年秋。?)をご覧になりにいらしたのだ。前川佐美雄は82歳?奥様もそれに近い年齢とお見受けしたが、老齢の方がお二人で、この遠方までいらした事に深く感銘したものでした。温泉に行くとかでしたら未だ理解できる。
美を追求するとはこういう事なのだ。

駅から美術館までは分かりにくいので、美術館までご案内した。忘れられない思い出です。
後日、知人を通して、と言うか誰にも言って無かったが、分かったらしく、お礼の事付けがあった。

暑ければ、陽射しが強いと、遠いとか、色々な理由をつけては家出もせずに、1日何となく過ぎて行く日々。本当の本物には成れないのだと分かってはいるが・・・・。

by higashinuma | 2012-08-28 08:15 | 短歌 | Comments(0)

五節句

筆記試験に五節句に当てはまらない花はと言う問題を出した。
正答率20%
1、菊 2、桃 3、杜若 4、梅
菊や桃を回答にした生徒もいた。

五節句の内、人日(1月7日)に当てはまらない梅が正解ですが、ある書に因ると、この日は梅と椿と水仙を活けるとある。しかし、殆どの茶道具で五節句は「松、桃、杜若、竹、菊」で表わされています。

私も五節句絵の水指(琴浦釜造 裏千家鵬雲斎箱書)を持っていて、6~7年前の茶会で使用している。この時は10月初めだったので、菊の図柄を正面にした。
節句と言うと新歴では季節が合わない気がして、新歴該当日から旧暦の該当日迄は使っても良いと言う話も聞いて、そのような扱いをしている。

写真で紹介したいが・・・・茶道具は不思議で一度棚から出すと元に戻すのに苦労するのです。狭い家に僅かな道具ですが、びっしりと詰め込んでいるので、出すのも大変なのです。

五節句の謂われ等はネットでみて戴いて、該当する節句のお菓子や食べ物を少し並べましょう。
1、人日  1月7日 松  七草粥  菱葩餅
2、上巳  3月3日 桃  菱餅白酒 引千切り
3、端午  5月5日 杜若 柏餅   粽
4、乞巧奠 7月7日 竹  素麺   特別な物は無い
5、重陽  9月9日 菊  菊酒   着綿

他に重陽の節句に因み作られた和菓子の銘はと言う問題もある。
1、重ね餅 2、麦手餅 3、菊重ね 4、着綿

4、の着綿が正解で正答率10%
それで、9月の稽古では既にお菓子屋に着綿を注文済みです。お楽しみに。
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頼んだお菓子屋がこの通りに作ってくるかは分かりません^^;

着綿とは重陽の前日に菊の花に綿を載せて置き、翌朝つまり重陽の日に綿が吸った夜露で体を拭くと長寿になれると言う行事です。これも新歴では菊の花の見頃は11月頃でしょうか。
能に菊慈童と言う演目がありますが、中国の故事で皇帝に可愛がられていた童が皇帝の枕を跨いだ事で、本来は死罪になるところを皇帝の慈悲で遠流しの刑になり、菊の露で童子のまま数百年の長寿であったと言う、簡略ですがこんな話が元になっているようです。
以前も同じような事を書いています。

by higashinuma | 2012-08-27 22:02 | 茶道 | Comments(0)

うたの家

8月27日 もう何日雨が降って無いんだろう?
地表は乾き熱を持つ。今日も我が家は33℃。

昨夜BSNHKで「うたの家」をドラマともドキュメンタリーともつかない放映があった。
私は途中から観た。
河野裕子と永田和宏夫妻それに永田淳、永田紅の子供たち全員歌人である。

私は歌の世界の末席に連なる者として、河野裕子は早くから知っていた。
その歌のどれもが輝き魅了された。
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若き日の永田和宏と河野裕子
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そして平成22年夏乳癌の転移で64歳で亡くなった。
最後には後述筆記で歌を作る。

「手を述べてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」辞世。

これほど多くの相聞歌を残した歌人、万葉集に載るような歌(身の内からほとぼり出る)を残した歌人は居ないだろう。
そして、愛する家族に看取られ静かに旅立ったようです。

同じ病気を持って奔放にこの世を走り抜けた歌人が居る。
中条ふみ子の名前は忘れ去られようとしているのではなかろうか。

「失ひし我の乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ」

歌集も「乳房喪失」
当時、映画化されたらしい。
4人の子をもうけて離婚し、入院中の医師との恋、年下の学生との恋等々次々と愛の遍歴を重ね、渡辺淳一の小説「冬の花火」を書かしめた。
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昭和29年32歳の若さでこの世を去る。最後には「死にたくない」の言葉を残して。

一方、乳房を取った後に荒木経惟(アラーキー)に依願してヌードと歌を載せた写真歌集「乳房花なり」を出版した歌人も居る。
宮田美乃里。
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「わたくしを批判するならご自由にならば自分も脱いでみなさい」

宮田美乃里もテレビで紹介されたらしいが私は知らない。平成17年35歳没。

昨夜のテレビを観ながら、特別な宿命を負って一世を精一杯生き抜いた歌人の生を思ったのでした。

             写真は全てネットから戴きました。

by higashinuma | 2012-08-27 15:23 | 短歌 | Comments(0)

今読んでいる本

昼を外で食べて、いつもの喫茶店に行き(この通りは今日はお祭り)3時頃に帰宅。
暑くとも、何と言っても、我が家が一番!家の中を通る風は涼しいんですよ。

この夏の芥川・直木賞の二冊のうち、読み終えたのは直木賞受賞作。
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辻村深月「鍵のない夢を見る」で短編が5作品載っている。この前のブログに書いた高田郁「藍」に比べては可哀想ですが、今までの直木賞作品としてはまぁまぁの作品と思います。
芥川賞は読み始めたばかりですが、何だかくどいような筆。

他には裏千家家元千宗室のエッセーで「自分を生きてみる」この本は一度読んでいるが、スラスラ読めてしまう。お人柄と言うか文体が柔らかく、ご母堂のエッセーに通うものがある。
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その他論文のような物を積んで読むのを待っている。

畳みに寝転がって、本を読んで居るのは私の至福の時間なのです。

by higashinuma | 2012-08-26 15:26 | 読書 | Comments(0)

お気に入り

8月26日日曜日。今日も朝から暑い。
エアコンが壊れて、夜は窓は勿論、玄関も開けて(ロックチェーンはかけている)寝ている。
二重ドアで玄関の上がった処も隙間空けている。
丑三つ時と言うのでしょうか、この頃はぴたりと風が止み、いつもは行かないトイレに行って、水を飲んで、ふと思い出してアイスノンを枕に結構寝ちゃいました(笑)
冷房の中で寝るのも良いけれど、自然の空気がやはり、咽の調子も目の調子も良いようです。
我が家エアコン一台しか無いのです。それで、全部のドアを開けて、今日は全館冷房等と言ってます。
冷房が好きでは無いのです。効率の悪いのは承知の上。

『北の零年』2005年公開の日本映画。
明治初期に起こった庚午事変に絡む処分により、明治政府により徳島藩・淡路島から北海道静内へ移住を命じられた稲田家の人々の物語である。
吉永小百合の記念すべき映画111本目の作品でもある。
              ネットからの注釈
テレビ放映もありましたので、ご覧になられた方も多いと思います。

何故、これを出したかと言うと、今、読み始めた本「藍」高田郁著書の内容がどうもこの映画のストーリーと絡んでいるように思ったのです。
本の題名「藍」は蘭方医となった関寛斎の妻の名前。
千葉九十九里の沼地を開墾した不毛の地で育った「藍」が、やがて蘭方医となる前之内の関寛斎に嫁ぎ、関寛斎が高名になるに従い、銚子へそして徳島藩のご典医となる。
農民が士分にとりたてられたのである。
現在はこの時点迄読んだ。
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その後、明治35年に関寛斎73歳と藍68歳は徳島から北海道へ渡り、陸別町の広大な原野を開拓した。
実在の人物。
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・・・「関寛斎」検索で関寛斎に感動を!

江戸末期、千葉九十九里の浜に住む人々は「浜虫」と言われ、この広大な浜地を私財で水田に開墾して貧しい人々を救済しようとした人物がいた。しかし、浜より陸側に近いやはり貧しい農民の反対があったと言う話も聞いた事がある。
これらが一度に思い出される小説であった。

※「北の零年」とこの話の時代は重複、同じ徳島藩ですが、「北の零年」の稲田家は淡路島(徳島蜂須賀公の家老で淡路島を領していた)。廃藩置県に因る、明治新政府との葛藤が描かれ、北海道移住を命じられたものです。当然知っていたであろう関寛斎が北海道に渡った理由は今は分からない。

この本の良さは、どの人物もみな善良な人々で、暗い生活話が多いけれど、読んでいて爽やかな気持ちになれる。
関寛斎没後100年を記念して執筆されたのだろうか。発売になれば、お勧めの本である。

by higashinuma | 2012-08-26 09:27 | 読書 | Comments(0)

百合

8月25日朝から強烈な陽射し。未だ6時と言うのに。

歩いて1,2分の体育館では国体のバレーボールのリハーサル戦があるとかで、昨日からテント等張っていたが、今日も朝から賑やか。
広報から「今年開催の第67回国民体育大会(ぎふ清流国体)の予選として、一都七県から訪れる4つの少年男子バレーボールチームによる試合(一般観戦可)」
以前は冷房が無い体育館でしたが、情報に依るとばっちり冷房が効いているとの事。


この辺りは今も造園業の土地が多く残り、田舎~の雰囲気が濃い。
体育館が出来る迄は大木が生い茂る森林地帯で、夜遅く帰宅するには怖い感じがあった。
今は大きな梅林が二か所も消えて住宅が蔓延し始めている。
随分変わってしまったが、我が家の辺りはとりたてて高いイメージは無いが、高台になるのかとにかく見晴らしが良いし、規制があって、東南側は当面は高層ビルの建つ予定はないらしい。

この時期、近年やたらと百合が咲く。「高砂百合」と言う種類。何処でも生える。農家の庭先、垣根、我が家の鉢植(植えていないが生える)。百合の特徴なのか最初に花を付けるのは一茎に一花。そして年々一茎に花が多くつく。
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携帯で撮った筈が無いのでネットで戴いた。
ざっと観れば綺麗です。が、とにかくやたらと咲いて、割と直ぐ咲き終わり、だらしなく枯れた花を付けているので好きになれない。

by higashinuma | 2012-08-25 08:05 | 所感 | Comments(0)