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つれづれ

きんつば

12月13日火曜日稽古
明日は忠臣蔵の吉良邸討ち入りの14日。「切腹最中」と言う恐ろしい銘のお菓子があり、今日使うのには良いかと思われたが「きんつば」も刀の鍔にかけて(←かなりこじつけ)使った。
この話をしていたら、生徒の中に「切腹最中」をご存じの方がおられ、昔、そちらの方面に勤めていたので店に買いに行ったと言われた。
この最中は前記事(去年の12月)にありますのでご覧ください。お菓子のケースにも忠臣蔵の意匠で説明書きもあります。餡の中に求肥が入ってネーミングのわりには食べ応えがあり美味しいですと書いていましたが、ネットに因ると東京うまいものの第一位に挙げられていました。
「切腹最中」の店、新橋(新正堂)は「忠臣蔵」の発端となった「浅野長矩切腹の場、田村邸」跡地内に店を構えていたことに由来しての店主の発案。
いろいろ面白い記事が載っていましたので、是非検索してみて下さい。
さて、金鍔は京都で江戸時代中ごろに売りだした頃には銀鍔と言っていたようですが、明治になって東京に移ると製法も変わり金鍔となったとあります。
今回のお菓子は餡を固め上新粉で焼いた感じなので、本来のものかと思われます。
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忠臣蔵の事があったので、お菓子が先になりました。
10日日曜日は青年部の茶会が品川であり、薄茶二席の内、一席は忠臣蔵がテーマでした。

忠臣蔵当日は吉良邸で山田宗徧の茶会があり、吉良は必ず在宅すると言う事で討ち入りが決行されました。当日使われていた花入は利休所持で宗旦が弟子の宗徧に贈った「桂籠」。丁度頭の大きさです。見事本懐を遂げた赤穂浪士はこれを吉良の首として槍の先に括りつけて、朝日が射し始めた江戸市中を浅野長矩の墓前に向かいます。・・本物の首は別ルートで浅野長矩の墓前に曝されます。・・これは道中に吉良方に奪われかねないからでしょうか。この籠は鑓の跡が付いています。香雪美術館所有。
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香雪美術館所蔵写真より桂川花入(桂籠)
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現在言われている桂籠(白竹)

その故事から花入は桂籠。建水は槍の鞘。お菓子は「雪まろげ」等忠臣蔵に因む道具でした。
今は籠花入は風炉の季節に限られますが、昔は炉の季節でも使っていた事が知られます。

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花は土曜日に使ったものと同じ「磯菊」と「満天星躑躅」青磁杵(尊器と言う方が正しい)
土曜日は花を採ってきたそのまま使いましたが、躑躅との調和をとるため花を結構減らしています。本には色々と調整する事を書いていますが、野にあるようにの意味がどうなのか迷う処です。が、今回はわりとまとまっていると自負。
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軸の染筆は永平寺管主の丹羽簾芳老師でこの軸には号の老梅と揮毫されています。「入木正統筆道本源」と言う系図がありそれに因ると11月に使った大雲和尚は簾芳老師の書道の先師に当たります。このような筆道があるかどうかは私は分かりません。
この軸は大寄茶会(約四百人)をさせて戴いた折に使って以来に開きました。
この茶会は目白の蕉雨園菊の間が担当でした。明治の大臣のお屋敷で、その当時のまま保存されています。天皇を迎える部屋もあり武者隠もある豪華な造りで、広大な庭は紅葉の名所ですが、残念ながら一般公開はされていません。その菊の間も床壁は金砂子散らしで巾も高さもあります。この軸はやや小ぶりながら存在感がありますので、ここの床でも十分見応えがありました。蕉雨園は講談社の所有で、映画やテレビドラマでも使用されています。

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「秋色洲浜」と銘がある京都のお菓子。これも食べて無かったので、黄粉捩りのようなものと言ってたら、本当に洲浜でした。洲浜と言えば白地を赤で包んだ洲浜が一般的ですが、こういう風にも出来る事に驚きでした。因みに私は歯に着くお菓子は苦手。

今日は三人お休みでしたが、炉流し点、茶杓荘、棚付濃茶点前、同じく薄茶点前と盛り沢山の稽古。頭の回転には良いかも知れないと、後で気づいたら若干間違いがあり、早速、点前をされた生徒に訂正メールを入れた事でした。
by higashinuma | 2011-12-14 09:08 | 茶道 | Comments(0)

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