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つれづれ

京焼

26年12月21日 日曜日 晴雲が多い 昨夜の雨上がりで湿度が高く、気温も高いのか、対岸の丘陵に霞がかかっている。本降りの雨でした。

どういう風の吹きまわしか、出光美術館に「仁清・乾山」展を見に行きたいと言う。
午後に降り出した雨の中を出掛ける。
混んで居ると思ったら、展示は今日21日まででした。

出光の所蔵展示が大半で仁清の名作MOAの国宝「藤の茶壺」や石川県立美術館所蔵の国宝「雉の香炉」等は無いが、茶壺は重要文化財文化庁所蔵「若松図」同じく重要文化財出光所蔵「芥子図」が展示されていた。仁清では他に「吉野山」等が知られる。
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仁清は生没不明とありましたが時代的には「秀忠」の頃ですか。千家の茶道では宗旦の頃。後水尾天皇天皇と秀忠の娘和子后が荘苑(修学院離宮)に住まわれる頃では無いかと思われます。

仁和寺の門前に御室窯を築き、本名の清右衛門と仁和寺の仁から、時の門跡より「仁清」と戴いたとされます。金森宗和の指導を受けたと言うのが定説で、私はこの説で覚えていましたが、今回の展示では金森宗和の一字もありませんでした。
金森宗和は利休の本妻の子、道安の茶道弟子とされ、公家との交流が多く、雅な公家好みが仁清の作品に反映されているとの事です。但し、私は宗和好み茶室は見ていますが、道具については思い浮かばない。
手持ちの縁高は宗和好みとして戴き物ですが、一般に縁高と言われる物より少し小振りで、高さが無い。なので、京都の有名どころの和菓子、例えば「きんとん」等を入れて重ねる事は出来ないが、品が良い。

仁清の初めの頃は高取写しのような作品も有りました。秀吉の時代に朝鮮の陶工に窯を築かせた事で、京にも出回っていた事が知られます。

乾山と尾形光琳は兄弟で、乾山の作陶に光悦の絵と言う物も展示されていました。本阿弥光悦より少し時代が下るでしょうか。光悦は宮本武蔵等が活躍した時代。楽茶碗でもサンリツ服部美術館「富士山」など国宝がありますが、重文の兎の香合一点の展示でした。
此の頃は江戸時代でも書画工芸品の最盛期と言っても過言ではないと思います。

その後の京焼は清水焼、粟田焼等に広がり仁阿弥道八等が活躍します。
京焼と言うとその後の(江戸時代後期)奥田頴川、青木木米等未だ上げねばならない作家が多いですが、展示のタイトルが「仁清・乾山」とあるので、豪華な展示を楽しませて貰いましたが、ちょっと半端な気がしました。
今日の記事もちょっと中途半端ですね。

美術館を後に日比谷から丸の内に出る。雨は本降りになりましたが、凄い人・人・人・・・土曜日だし・・・
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これが目当てかも
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フォーラムの中?・・・・今何処に居る?
人ゴミについて行く、と言うか東京駅に出るのに早く建物の中に入りたかった・・・それほどの雨
で、アナ雪の展示があり、異彩を放つ!
超混んで居る。これは二階から撮りましたが、囲いの中に入るのに90分待ちでした。展示を見て写真撮るだけでしょう?二階、三階ず~と人・人・人・・・・・

此処から地下鉄で新宿へ・・・この記事は別途
by higashinuma | 2014-12-21 09:05 | 所感 | Comments(0)

茶道をとおして日々の流れをつづる

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