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つれづれ

短歌

27年8月31日 月曜日 雨 25.3℃ ずっと天気が悪いと自律神経が乱れる感じがある。
どこがどう不調と言う訳ではないけれど、今一元気がでない。

短歌を作り始めたのは小学生の時の国語の時間からで、歌の内容は覚えて無いが誉められたのがきっかけだった。これは歌集の後書にも書いている。その後は朝日歌壇に投稿し、当時選者であられた一人の岡野 弘彦先生に次席で採って戴いた事も後押しになった。
その後は歳をとっても出来る趣味として「道」の付く何かを始めたかった。それは会社の人達と尾瀬に行った時、女子社員で両手に余るほどの資格を持っていたので、何も無い自分が恥ずかしかったのがきっかけ。
何でも良い10年やったと言うものを持ちたかった。職場でそんな話をしていたら、パートの小母さんが調度男の人が入門したからお茶やってみないと持ちかけられた。お茶って何だか分からないまま師匠に紹介されて習い始めた。弟子仲間や師匠との確執等で止めようかと思った事もあったが、とにかく10年はやってみようと頑張って来た。が既に茶道も40年を超えてしまった。
お茶を習う過程で、短歌と書道は必要な事が分かり、書道会に入門し、会長が書を習う人は他の事も学ばねばならないとの事で、会長主催の俳句の会、書道会の会員主催の短歌の会があり、両方勉強する事になった。短歌の会は主催の先生の所属結社にも入会した。他に仕事の関係で知った方の奥様が前川佐美雄主催の歌会に所属されていて紹介され、このグループにも顔を出すようになった。その方の親しい著名な作家を招いてのサロンも文学界の話しを聞けて面白かった。が、作家が亡くなり、いつの頃からか、会が解散したりして縁が遠くなった。前川佐美雄との思い出も忘れ難い。

先日、勉強会で筒井紘一先生が岡野弘彦先生の講演を聞かれた話をされた。
講演は戦後70年を迎えて「日本人と桜」のテーマでご自身の戦争体験を話されたようです。
柳田國雄(「遠野物語」著者、民俗学研究)⇒釈迢空(折口信夫)(民俗学研究、歌人)⇒岡野弘彦の師弟関係の話から、講演の内容に及んだ。それは毎日新聞関西版?に「茶の湯つれづれ」に第5土曜日に寄稿されて居られるとの事。発売になったばかりの新聞なので買って来られた由。コピーを戴いた。
講演の一部を紹介されて、織部が吉野山で茶会を開いた話で結んでいた

学徒動員で毛布を運ぶ軍用列車で、山手線大塚駅にさしかかった時に東京大空襲に遭い、土手の満開の桜のすさまじく炎上する姿、人々の焼けだされた姿と一週間その時の遺体処理をされ、その後目的地の千葉に着いて、小学校の満開の桜の散る様子を見てから生涯桜の歌は詠まないと決めていたとの事。そして、同じ
釈迢空門下の先輩、山本健吉にその事を咎められ、吉野山に呼び出され、桜を一日眺めて、再び桜を読む気持ちを取り戻されたとのお話でした。

秀吉死後の翌年、利休の弟子であった織部が吉野山で開いた茶会で「利休妄魂」と額を掲げていたとの事。妄は乱れるとかの意味で有れば利休の霊を吉野山の山の桜で慰め、利休所縁の人々での魂を鎮めたのではないかと思われる。

今、茶道で必要だからと書道と短歌それに古文の勉強会を月一回開いている。
最初は覚束ない短歌であったが、皆さんそれなりに出来るようになってきた。語彙も増えつつある。歌会初めの投稿や裏千家茶道関係の淡交誌投稿を勧めている。其々の力になってくれたら嬉しい。

口直し
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冷蔵庫整理のラトゥユ・・・今回は大豆を入れて見ました。熱くても冷たくても美味しい。
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塩豚茸掛け
by higashinuma | 2015-08-31 07:30 | 所感 | Comments(0)

茶道をとおして日々の流れをつづる

by higashinuma