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つれづれ

奥伝稽古

30年4月18日 水曜日 雨 21.0℃ 冷えています。この気温でも寒いと思うのが何となく変な感じです。

健太は5時半頃起きている。半分眠りながらストレッチ。この二、三日は起きる時間が乱れてストレッチもしっかり出来なかった。悪戯うんちも久しぶりで6時過ぎにトイレに行くと鳴きだしていた。「今日は雨だから散歩しないよ」言っても分からないか(笑)若もゆっくり起きて来た。その前にリード付けて掃除していた。早く起きて健太と遊んでくれれば掃除も楽なのに。言わなきゃ分からないし言うと喧嘩になる。それよりゴールデンウィークはあいつは一週間旅行に行くので健太の世話は私がやるしかない。それを思えば黙ってやるしかない。でも、リード付けて掃除している時は健太は私の回りでおとなしくしている。隣に誰か居れば安心するような感じです。

さて、昨日は午前稽古が休みで、先週から言っていた閑雲卓を持って行く事にした。通勤帯よりは良いが10時を過ぎているのに電車は混んでいる。荷物を両手に、帰りに雨降る予報で傘を持って・・何とか出来ました。教室に荷物置いて、昼飯と晩飯を買いに行く。大きなショッピングセンターや駅ビルなどがあっても「生菓子」は無い。昨日(月曜日)デパ地下でお菓子は買って来たが、生菓子は一個400円位で数が少なかったので諦めた。
一人行之行台子の許状が届いたので稽古の予定だった。ところが月に一度稽古に見える方の来られる日を全くもって忘れていた。⇐是内緒!それでいつものように2時に来られた。じゃ、折角だから茶通箱稽古しましょう。そのうちに2人来る予定だから。稽古の途中で2人が来られてその点前も見せる事が出来た。
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そして行之行台子
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炉での行之行台子点前はあっち向いてこっち向いて、裾が乱れます。
襖は換気の為開けています。
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白饅頭が良かったのですが松江彩雲堂の茶薯蕷。右上は玉椿(姫路伊勢屋)その下は林檎、左は京都亀屋陸奥の松風、其の上は岡崎古代葵餅。
赤色のお菓子が欲しかったので玉椿にしたら餅菓子が二種になりました。ここはやはり練り切りが欲しかったですね。
どれも美味しいですが特に薯蕷が美味しかった。
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初めての人に稽古する行之行台子は時間がかかる。疲れた~とは言わないが、薄茶になるとほっとする。
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干菓子は生徒の手作り寒氷桜を添えて
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長緒の処理が綺麗に出来て閑雲卓の釘に掛けられました
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茶杓荘をご希望でした
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小手鞠、大手鞠、姫空木等を持って行ったので教室の冷蔵庫に保管していた椿を合わせて花を入れて貰う
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是は立波草、帰る頃に撮ったので一本は萎れている
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「花の分かる人は?」「下野ですか?」葉は似てますが花は違います。
雪柳、小手鞠、大手鞠、姫空木等下野も含めて葉の形は似ています。中央が小手鞠、左が姫空木です。鳴子蘭、苧環が咲いていたが他所の家の庭でした。
おがたまも咲きだしていますが活けるのが難しそう。

※寒雲卓について
この小棚(卓)は円能斎のお好みです。上の写真の如く地板が無く、薄茶の場合水指は運びになります。濃茶では予め置いておく。中棚には棗。水指は土物(備前や信楽)も使えます。天板、中棚は赤杉、柱は赤松の皮付です。もともと玄々斎が寒雲亭の向こう切り炉の上に据える棚、寒雲棚(畳の巾分ある)を考案され、その姿のままに小棚にしたものです。扱いとしては湯返しが無い事、竹の蓋置を使う事です。水次も使いません。本来、濃茶では点前が終わったら水指は運び出しますが、間が抜けて見えるため私はそのまま飾り置きます。
寒雲棚、寒雲卓共に炉、風炉に使われますが、寒雲棚を風炉に使う時は中棚を外して使います。他に寒雲棚の向こう板に香狭間の透かしを入れた円能斎好みがある。
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寒雲棚 玄々斎お好み
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寒雲棚 円能斎お好み
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円融棚 玄々斎お好み
これらは閑雲亭の向こう切り炉用に考えられた
元々裏千家に在った閑雲亭は宗旦の建てたもので火災に遭い再建されました。幕末から明治の動乱の折に久松家、堀越家と移築されましたが、その後鎌倉東慶寺に移りました。有名な探幽の手違いの絵の襖は裏千家に返されたようです。


by higashinuma | 2018-04-18 09:28 | 茶道 | Comments(0)

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