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つれづれ

絵画展

30年5月4日 金曜日 晴れ 23.0℃ 気持ちの良い朝です。富士山はスッキリと見えている。

健太は相変わらず朝早い。散歩に出てしっかり歩くのは良いですが、走りたくて引っ張る引っ張る。この頃特に力が出てきたと思う。「走らないよ」「引っ張るな」等と声をかければその時だけは普通に歩く。それに道草が多い。犬とも出会う。健太は遊びたくて仕方ないが無視される事が多く、その度に昂奮している。相手の犬も知らんぷりしているのは良いが相手も遊びたくてこちらを見ていると健太も落ち着かない。どうしても一時間以上の散歩になる。

昨日は久しぶりに絵画展を観に行った。「暁斎・暁翠」の父娘(おやこ)展だ。河鍋暁斎はおどろおどろした絵もあり知っていたが、小説「松浦武四郎」を読んで、武四郎の近所に住んでいた暁斎親子が出て来るので余計に関心があった。暁斎は大蔵流能楽を学んでおり、二十五世大蔵彌右衛門の長男の彌太郎の公演「末広がり」と暁斎の曾孫に当たる河鍋楠美河鍋暁斎記念美術館館長(蕨市)の対談が企画されている。これは外せない。
暁斎は天保2年~明治22年の動乱期に活躍された絵師で6歳で歌川国芳に入門し、写生を徹底して行う。その事で神田川増水で流れて来た生首を拾って来たのが父に知れ、写生するためと許され描きとる。⇐これ8歳ですよ!尋常でない様に父は狩野派に再入門させる。人物画は骨格を描き肉付けをする。着衣の人物は裸体を描いて着物を着せるなど、あらゆる姿態をスケッチされています。暁翠は暁斎の後妻の娘(慶応3年~昭和10年)で、小説には本名の豊で出てきます。暁斎に学び暁斎の手助けをしている。女子美大の前身創設から教授として指導しています。

一方、我が家からは国際基督教大学も自転車で行ける範囲ですが、ここに松浦武四郎が自宅に建てた一畳敷家屋があり、幸いな事に中まで拝見出来ました。非公開で学園祭の時にだけ茶会の待合として公開されるらしい。その時は松浦武四郎と言う人物も知らず、日産財閥の番頭が買い取った三鷹の別荘泰山荘に移築され、その後は中島飛行機に売却され、戦後そのまま国際基督教大学に温存された。三鷹と言えば今は住宅街ですが、広大な校地のその辺りには武蔵野の面影も残り今も別荘と言えば別荘地そのものです。

意外なところで意外な繋がりがありました。この展覧会でも暁斎が住まわれた近く、笹の雪(豆腐料理)や栄太郎(飴)等が暁斎の絵を買い取っている事が書いてあった。武四郎との関係資料は残念ながら一行名前が載るだけでした。小説によると松浦武四郎涅槃図を描いているのですが。

暁斎は狂言をしていたとの事で動きのある狂言の絵が沢山残りますが、暁翠は女性であり、それは叶いませんので能の絵が沢山ありました。
久しぶりの絵画展は満足した事でした。

「末広がり」から
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主に「末広がり」を買って来るように言われた太郎冠者が、都に来て「末広がり」を知らないのに気付く。詐欺師に騙され「末広がり」は傘の事だと買わされる。持ち帰った太郎冠者は主に叱られるが、詐欺師に機嫌を損ねたらと教わったように謡いを続けると主の勘気もとけてめでたしめでたしとなる。
写真はネットから
さて、末広がりとは
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この写真もネットからですが「中啓」を指すそうで、普通我々の使う物は「扇子」と区別しているようです。




by higashinuma | 2018-05-04 09:14 | 所感 | Comments(0)

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