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つれづれ

茶道筆記試験

30年11月16日 金曜日 晴れ 21.2℃ 昨日より気温は高いが体感としては寒い気がする

茶道検定が行われていますが、私の社中でも筆記試験を年に一度行っている。三択問題ですが結構難度が高い問題もある。此の前、初炭手前をしていて、炭斗に枝炭が3本しか入ってなかったので「箱に無かった?」「いえ、ありました」「炉は枝炭何本ですか?」「あっ、試験は5本に丸付けたのに」悔しそうに言っている。いつもケチケチ使っているので勘違いしたみたいです。枝炭意外と高いですからね。先日、正月用品を買い出しに行って枝炭も買った。10本2300円。燃えない枝炭も随分前から売り出されている。でも、それじゃちょっと・・何でも良い事では無いでしょう。稽古で下火(もとび)に火を点けないで手前をする事はあるが。

その中で歴史の問題は難しいようです。例えばお茶が日本に渡来した初めは遣唐使の留学僧と言われ、平安時代になります。この時代は最澄が滋賀県の日吉大社にお茶を植えたとされれ日吉茶園が残ります。それと最澄と一緒に帰国した永忠は滋賀に行幸したおりに梵釈寺で嵯峨天皇に自らお茶を献じて嵯峨天皇がお茶の栽培を勧めたと言われる。空海も嵯峨天皇にお茶を献じているようです。其の後、鎌倉時代になり栄西は宋に二度にわたり留学、帰国後、長崎平戸に茶の苗を植えました。この茶園は富春園です。其の後に佐賀県の背振山にも茶園を開きました。そして種を明恵に渡し、栂尾に蒔いて当時の最高品質の茶を育てます。栄西が帰国して長崎に着くと直ぐに茶を植えたのは茶の苗を持ち帰ったからではないかとされています。この話は一般的では無いので富春園などを理解している人は少ないかも知れない。

茶禅一味を最初に体得したとされるのは村田珠光で大徳寺一休に参禅していたと言われます。三択のひっかけとして山上宗二を入れましたが、時代が下がりそれらしきことを山上宗二記に書かれているので誤解されやすい。

嘉祥菓子(和菓子の日)は6月16日。平安時代からあるとされますが謂れは明確では無いようです。家の間では、この日に楊弓 (ようきゅう) という短い弓矢で的を射て、負けた者が勝者に中国の銭「嘉定通宝」 (かじょうつうほう) 16 枚で買った食べ物を贈りました。銭の「嘉」と「通」の字を読んだ音が、勝に通じることから武家に尊ばれました。このようなことから嘉祥は嘉定とも書きます・・虎屋文庫より
江戸時代は盛んに行われていたようで幕末まで続きますが、16個のお菓子は流石に多いため6に1を足して7種類のお菓子を送る習慣となったようです。7種のお菓子、つまり奥伝のお菓子の数もこのように決まったのかと思われ興味深い。東京では日枝神社の献茶式があり以前は参拝客にも饅頭を配られたようです。今は不明。この日を和菓子の日と決めたのは昭和54年(1979年)虎屋では幕末頃に御所に納めた七種のお菓子を再現して売り出しています。
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                                                      ネットで戴いた虎屋の嘉祥菓子
今日はここまでにしておきます。

我が家飯から
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キムチ鍋・・冷蔵庫に白菜キムチは切らさない・・の筈が・・また買ってきちゃった・・で、古い方を一パック(八分くらい残っていた)入れて・・美味しかった
他に白菜の葉部分と葱、韮が入れてない
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何故かコロッケが喰いたい!本当は牡蠣フライ食べたい・・無かったのでクリームコロッケと牛肉のコロッケにするが牛肉コロッケは今一。自分で作ればよかった。


 

by higashinuma | 2018-11-16 09:07 | 茶道 | Comments(0)

茶道をとおして日々の流れをつづる

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