2019年 04月 24日
4月最後の稽古
2019年4月24日 水曜日 突然雨が降り出す憂鬱な空模様 23.4℃
朝、書いていたが突然パソコンの電源が落ちてしまった??キーボードの何処かにドボンがあるのか?午前中用があって出かけていたが、折り畳みの傘では頼りないほどの土砂降りになった。午後は晴れているうちに早めに健太の散歩を終えた。奴は今熟睡している。昼飯をとって昼寝をしていると、健太は散歩行こうとばかりちょっと吠えたりする。私が寝ているベッドからテーブルの下を通して健太が良い子ポーズ(伏せ)で見ている。それがとても可愛い。
昨日の稽古でちょっとしたことがあり、夜はよく眠れなかった。昼寝はぐっすり眠っていた。
午後稽古の三人がお休みになり、午後は小説読んだり、眠ったりしていた。夜稽古は希望もあって、鉄瓶を紅鉢に掛けていた。これからは炭を使わなくて済む。
昔々の事でしたが、茶道の稽古をしていて、師匠に「はたかれた」と言う人がいた。叩く行為はどうかと思うが、出来が悪い生徒はそういう気持ちにもなる。私らが若い頃には学校の先生に叩かれるのが普通でした。勿論、悪いことをしての事。それが普通でした。が、今は親でも子供を叩くのは犯罪になってしまい、セクハラだのパワハラだの、そういう境遇で育てられた我々には逆に狭い世界となってしまった。どちらが良いとは言えないが親が子供を折檻して限度を知らなくなってきたからです。昔は子供同士も喧嘩をして、その中で限度を覚えたような気がする。今は外で遊ぶ子が少なくなり、万一、校庭や公園では遊ぶとしても監視の大人が居る。世知辛い時代になったと思う。
お茶の指導と言う事は今は死語みたいな「道徳」を教えている事だとも思う。それが、所作だけ教えれば良いと言う風に変わっては茶道とはならずお茶遊びになってしまう。そんなに重く受け止めてはいないが、何故、禅語の掛軸を掛けて、花を入れて、香を炊くのでしょう。修業であって遊びではない筈です。それが大変だと思うなら高い月謝を払うより、それで毎月美味しい物でも食べて下さい。まぁ、修業と言うと言葉では厳しくなりますが、楽しくなければ続かない。
「その道に入らんと思う心こそ我が身ながらの師匠なりけれ」ここでの師匠とは我が身です。「初心忘るな」それが大事だと私は思う。
by higashinuma
| 2019-04-24 16:49
| 茶道
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