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つれづれ

2016年 03月 21日 ( 1 )

団体

28年3月21日 月曜日 曇り 20.2℃ エアコン無し この気温でも寒いのは日差しが無いから

さて、昨日、研究会で業躰のご指導を受けながら、それはそれで勉強になりました。例えば、初炭で炭斗を平菜籠にした場合、火箸に鐶を掛けられないので、胴炭に立てかけます。その場合は「使い取り」で「香合は真ん中に取り置く」とのご指導でした。胴炭に立て掛けるまでは知っていましたが、その後の扱いまでは習った事が無かったので、この炭斗を使って良かったと思った。
今回は研究会に初めて出場の生徒が居て、初めに、利休道歌と言葉の唱和がありますが、去年、初めて出場の生徒が「新興宗教みたいに思った」と言われた。確かに・・・
昔、大阪の大先生が、壷々紋の着物で歩いていたら、知らない人が声をかけて来て、その紋の事を聞いたそうです。「何かの宗派ですか?」と聞かれて「利休教」と応えたと笑っていらしたのを思い出した。
私も長い事、茶道裏千家の茶を習い、研究会を初め色々な行事に参加して、思う事は「狭いなぁ」と言う事。勿論、裏千家は世界に亘り三千家では一番会員が多いと聞くし、実感もある。
また、所属する会(支部)の問題かも知れないし、こういうことを書くと問題があるかも知れないが、いつも疑問に思う事がある。

それは、例えば茶会があると言っても、裏千家の中で集っているに過ぎない事が多い。関連するパンフレットなどは茶会の中で配られることが多いので、会の輪が一向に広がらない事。生徒を持っている先生は自分の枠から外に出せない事等がある。要するに交流が出来にくい。
寺社の行事(献茶、供茶)などでは信徒等が参加するし、町でも一般市民を対象にした茶会などは勿論あるが、何処か雰囲気が違う。お茶を習っているから偉いと言うような態度(過剰な親切も含む・・家庭では見せないような顔)・・そうでなければ道具自慢等々如何にもの人が多い。それでは、やってみようかななんて言う人は居ないだろう。

それにお金もかかりすぎ。茶会であれば、会費の他に「水屋見舞い」招待であれば「お祝い」・・・やはり新興宗教なのかなぁと思わざるを得ない。
長い歴史の中でこういうことに疑問を持った人が新しく茶道家元を称したりしているが、現在それは伝統を守るために認められていない筈です。

茶道は日本文化の粋を全般にわたり収めるとともに人間形成にとても良い所謂「道」です。
それに、誰彼の尾鰭が付いてゆがめているような気がしてなりません。私は街の茶華道連盟のような処には所属しない主義です。何かというと団体を作り、会長等とそっくり返る奴が多いからです。それは「道」とは違う事だと思うし、その中で活動したとしても「井の中の蛙」に過ぎないと思うからです。
純粋にと言えば何を?・・・・人と人が集うと言う事は色々の考えの方が居てとても難しい。

気分転換
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困ったときのレパートリー・・弁当に詰めても美味しい
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焼鮭・・一切れが崩れているのは、ひっくり返す時に落としてしまった・・・手抜きは駄目です!
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法蓮草とシメジの和え物・・懐石の預け鉢等にも
by higashinuma | 2016-03-21 10:17 | 茶道 | Comments(0)

茶道をとおして日々の流れをつづる