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つれづれ

茶道具

30年11月18日 日曜日 薄曇りの晴れ 22.0℃ 冷えてはいるが寒くはない

朝は6時少し前に起床。健太が起きているのは分かっていたが日の出が遅くなり雲も多いのでまだまだ眠い。健太うんちしているなぁと思いながら見ると見事なやつが転がっている。先日から健太に私の使い古したシーツを半分切って入れてある。彼は其の上に蹲って眠る。破くかなと思っていたら意外とそうでもなく気に入ったようで、うんちをよそ眼にシーツの上に座っていた。自分でも汚いのが分かるようで、子犬の頃は踏んだりしていたが今は余程の事が無い限り踏むことはなく、シーツも端に寄せている。
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昨夜寝る前の健太・・可愛い寝顔だったので撮ろうとしたら目を開いた・・シーツの上で寝る。この写真を見ていたら竹内栖鳳の描く斑猫に似ていると思った。あれはこんなに蹲ってないが

6時半までサークルの掃除をして、若が起きて来ないので「健太起こして来て」と放すと一目散に走って行く。ドアを引っ掻いて開けて中に入る。ドアからベッドに飛び上がるのだ。凄いなぁと思う。自転車の前籠から飛び降りたのも驚いたけれど。40㎝位の高さでは横跳びで上がれるのだ。見た目痩せているが同じくらいの体系の犬と比較しても体重は重い。四股の筋肉が凄いのだ。特に後ろ脚の筋肉は目立っている。願うのは腰を傷めない事だ。ビーグルはヘルニアになりやすいと聞いた。

来年の正月の年始の品や福引の買い出しに行ったら映画「日々是好日」に出て来る犬の絵の茶碗が売られていた。今年の干支なので映画で使ったのだろう。犬の絵は琳派の最後の画家とも言われる神坂雪佳の「狗児」です。私は雪佳の絵は大好きで注文しようか迷ったが、多分数多く出回るのだと思い止めた。でも、絵が可愛くて欲しいのは欲しいです。映画では「十二年に一度の茶碗ですね」樹木希林の先生役が「私は生きているかしら」と言われたのが印象に残ります。
我が家にも十二支が揃う程の茶道具がある。何回使っただろうか・・・新年には今年の干支の物と去年の干支の物を送り干支として使う事もありますがそれにしても十二年に一度の道具とは贅沢な事です。と言う事もそうですが、お茶会となるとそれなりの道具を使いますし、前回と同じ道具は控えようとそれこそ十二年どころか何十年に一度です。道具とは使って何ぼの世界なのですが、お宝となっては道具では無いですね。それは分かっているのですが・・・・
映画でも楽の茶碗を丁寧に拝見する場面がありました。
かきかけ

# by higashinuma | 2018-11-18 11:01 | 茶道 | Comments(0)

茶道筆記試験 2

30年11月17日 土曜日 晴れ 22.8℃ 午後5時過ぎ

今日は若の提案で国立新美術館にボナール展を観に行き昼食はイタ飯予約済でその後はミッドタウン散策と言う事で、朝9時には出かけた。日曜日に行くと言われていたが、天気予報が変わって日曜日は雨降りそうとの事で土曜日に行く事になったもの。ボナールはジャポニズムがパリを風靡した時代。陶磁器を輸出する際に包んだ版画から日本の美術に驚嘆したとされこの時代はルノアール、ゴッホ等競って版画を参考に作品を発表します。ボナールも例外では無かった。日本かぶれのナビ派と言われていたとの事です。ただ、ルノアール等は印象派で、ナビ派はゴーギャンの指導のようです。レアリズムを否定し装飾的絵画を目指しています。
ボナール展を観て色彩の豊かさにそれを感じました。

イタ飯の話などは後にして今日は昨日の続きの筆記試験で難解だった問題を取り上げます。
大徳寺の開山は宗峰妙超です。大燈国師の方が分かり良いかも知れません。播磨の国赤松氏の家臣浦上氏の子として1282年に生まれ11歳で天台宗を学びますが、後、臨済宗に入ります。南浦紹明に参禅し、師が鎌倉建長寺に入ると従って鎌倉に入り1307年に印可を受けます。其の後、京都紫野に赤松氏の帰依を受けて堂を建立し、これが大徳寺の起原と言われます。花園天皇をはじめ貴族、大名、商人、文化人の帰依を受け、村田珠光が一休に参禅した事から武野紹鴎、利休等も参禅し、現在私たちが茶名に宗が付くのは宗峰妙超ここから戴くのです。

同志社所縁の宗匠は円能斎からです。東京から京都に帰った円能斎は同志社創立の新妻襄の妻である新妻八重の茶道の師となり、同志社にも指導に出向くのです。この辺りの話は大河ドラマ「八重の桜」にも描かれていました。

小庵と道安は同じ年齢と言われます。勉強会で説明したと思いましたが・・・小庵は利休の後妻宗恩の連れ子で道安は先妻の息子です。結果的に千家は小庵が利休の娘(外腹の子)亀女と結婚して引き継ぎ、その子が宗旦です。後妻と共に千家に入った小庵に道安の戸惑いも少なくないと思いますが、歴史の中ではそれは憶測でしかありません。

初代宮川香雲は三代宮川香斎の息子です。初代香斎の甥が香雲二代目です。宮川家は貞享年間(1684年~1687年)に始まりますが長男(京都)と次男(後横浜)に分かれ宮川家を継ぎます。横浜の宮川は四代目の四男で香山と名乗り横浜で活躍します。万国博や今我々が驚嘆するような作品はこの人の作品です。一方、京都の香斎は四代目あたりから千家のお好みも造るようになり、華麗で雅な作品を残します。家系では必ずしも長男が早世で代を継いだりしていないので複雑なのでここではここまでにしておきます。作品から私見では近年の香斎作品は仁清風と言いましょうか綺麗さび。香雲は華やかな作品と思います。この系統では小峠丹山(葛芳)が五代目香斎を叔父として茶陶で活躍されています。

一番の難問は堺の発展を導いた物でしょうか。三択として1.硝石の輸入2.唐物の輸入3.納屋貸付と書きましたが、1.を選んだ人はいませんでした。唐物輸入も津田宗及、今井宗久が豪商として上げられますが、彼らは特に信長時代に合戦が鉄砲に変わった事で弾薬の硝石が必須となり、競って商うようになります。宣教師により堺は日本で最も栄えた港湾都市と紹介されます。因みに利休の生家は魚問屋をしていたとされ、父田中与兵衛は商才に富み堺の有力な者が集まる納屋会合衆十人の一人としてあげられています。

今回は花等の問題はありません。点前の問題は殆どが正解しています。
「知って得する茶道のいろは」筒井紘一著では無いけれど、知らないより知ってる方が良い訳で茶会などでの会話力として活かせてくれたら嬉しいです。

我が家飯から
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白菜うま煮
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茄子のオイスターソース炒め
本当は若がすき焼き食べたいと肉を買って来ていたので、すき焼きと何か副菜をと思って作り始めた。豚ひき肉が量が多かったので二品作ったらすき焼きはどうでも良くなり明日にしましょうと言う訳です。

# by higashinuma | 2018-11-17 18:13 | 茶道 | Comments(0)

茶道筆記試験

30年11月16日 金曜日 晴れ 21.2℃ 昨日より気温は高いが体感としては寒い気がする

茶道検定が行われていますが、私の社中でも筆記試験を年に一度行っている。三択問題ですが結構難度が高い問題もある。此の前、初炭手前をしていて、炭斗に枝炭が3本しか入ってなかったので「箱に無かった?」「いえ、ありました」「炉は枝炭何本ですか?」「あっ、試験は5本に丸付けたのに」悔しそうに言っている。いつもケチケチ使っているので勘違いしたみたいです。枝炭意外と高いですからね。先日、正月用品を買い出しに行って枝炭も買った。10本2300円。燃えない枝炭も随分前から売り出されている。でも、それじゃちょっと・・何でも良い事では無いでしょう。稽古で下火(もとび)に火を点けないで手前をする事はあるが。

その中で歴史の問題は難しいようです。例えばお茶が日本に渡来した初めは遣唐使の留学僧と言われ、平安時代になります。この時代は最澄が滋賀県の日吉大社にお茶を植えたとされれ日吉茶園が残ります。それと最澄と一緒に帰国した永忠は滋賀に行幸したおりに梵釈寺で嵯峨天皇に自らお茶を献じて嵯峨天皇がお茶の栽培を勧めたと言われる。空海も嵯峨天皇にお茶を献じているようです。其の後、鎌倉時代になり栄西は宋に二度にわたり留学、帰国後、長崎平戸に茶の苗を植えました。この茶園は富春園です。其の後に佐賀県の背振山にも茶園を開きました。そして種を明恵に渡し、栂尾に蒔いて当時の最高品質の茶を育てます。栄西が帰国して長崎に着くと直ぐに茶を植えたのは茶の苗を持ち帰ったからではないかとされています。この話は一般的では無いので富春園などを理解している人は少ないかも知れない。

茶禅一味を最初に体得したとされるのは村田珠光で大徳寺一休に参禅していたと言われます。三択のひっかけとして山上宗二を入れましたが、時代が下がりそれらしきことを山上宗二記に書かれているので誤解されやすい。

嘉祥菓子(和菓子の日)は6月16日。平安時代からあるとされますが謂れは明確では無いようです。家の間では、この日に楊弓 (ようきゅう) という短い弓矢で的を射て、負けた者が勝者に中国の銭「嘉定通宝」 (かじょうつうほう) 16 枚で買った食べ物を贈りました。銭の「嘉」と「通」の字を読んだ音が、勝に通じることから武家に尊ばれました。このようなことから嘉祥は嘉定とも書きます・・虎屋文庫より
江戸時代は盛んに行われていたようで幕末まで続きますが、16個のお菓子は流石に多いため6に1を足して7種類のお菓子を送る習慣となったようです。7種のお菓子、つまり奥伝のお菓子の数もこのように決まったのかと思われ興味深い。東京では日枝神社の献茶式があり以前は参拝客にも饅頭を配られたようです。今は不明。この日を和菓子の日と決めたのは昭和54年(1979年)虎屋では幕末頃に御所に納めた七種のお菓子を再現して売り出しています。
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                                                      ネットで戴いた虎屋の嘉祥菓子
今日はここまでにしておきます。

我が家飯から
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キムチ鍋・・冷蔵庫に白菜キムチは切らさない・・の筈が・・また買ってきちゃった・・で、古い方を一パック(八分くらい残っていた)入れて・・美味しかった
他に白菜の葉部分と葱、韮が入れてない
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何故かコロッケが喰いたい!本当は牡蠣フライ食べたい・・無かったのでクリームコロッケと牛肉のコロッケにするが牛肉コロッケは今一。自分で作ればよかった。


 

# by higashinuma | 2018-11-16 09:07 | 茶道 | Comments(0)

着物

30年11月15日 木曜日 晴れ 20.7℃ 最近では一番冷えているが日差しが暖かい
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朝6時半の富士山。健太は5時半頃に起きているが目覚めてストレッチやって寝具を片して窓を開けるとこの時間。日の出の時間ならもっと真っ赤な富士山が見える。
昨日は夕方の健太の散歩で夏頃から会わなくなった健太の犬友に会った。5時近くなって暫く犬友と遊び「健太帰ろう」と河川敷から土手に上がろうとしたら薄暗い中から犬を連れた人がやって来る。健太の友達犬と似ている「〇〇?」呼び掛けてみる「〇〇だよ」「久しぶり。元気だった?」「元気だったよ」そして一緒に又、河川敷に戻って遊ぶ。健太とこの子は本当に仲が良い。犬でも相性があるようです。
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写真は去年のものですが、この子とこうやってじゃれる。
なので帰ったのは5時半過ぎていた。辺りはもう、真っ暗。

話変わって和服の手入れは難しい。着ない理由の一つではないかと思う。夏に着た若の薄物と私の単衣を呉服屋に洗いに出していて出来上がった知らせが来た。その呉服屋から悉皆屋に出しているのだが、一着というのかな?6500円もする。でも、この値段はずっと昔から変わらない。恐らく呉服屋でかなりのマージンを取っていると思う。近くにも呉服屋があり、何度か出した事があり、確かにこちらの方が安い。けれど、畳み方が悪かったりで今一気に入らないので、前からお世話になっている呉服屋が丁寧で一番と思う。安い方のは中国に洗いに出しているようだ。価格表にはきちんと国内洗い、中国洗いと書かれているが信憑性が今一。本職なら直線裁ちの着物に変な皺が入る訳がない。
綿物とか最近はシルック等化繊の着物もあり、家で手入れ出来るとうたっているが洗える着物の化繊でも皺が入って結局呉服屋で洗い直した事がある。ましてや正絹物では素人は手を出さない方が良いと思うのです。着たらベンジンで襟を拭いて・・等々言われるが乾燥させたり、坐り皺等も綺麗には取れない。それに、前の家では畳の部屋の鴨居に掛けて置けたが今の家では掛けるところも無ければ畳むのもベッドの上。そう言う点でも着物は扱いが面倒です。
着物の普及のためにも手入れを簡単に出来る方法みたいなものを広く知らしめたら良いのにと思う。
京都は別として、東京では浅草にレンタル着物の店が多くあり、外国人が着物で浅草寺界隈を闊歩している。こういう場所では着物を着ても目立たないが、私の住む街辺りでは目立ってしまう。正月三が日位は着物でも気にならないが、家元初釜に伺う頃ではあの人はどういう人だろう?何をしている人だろう?と注意を惹く事になる。日本の民族衣装である着物を着て欲しいと思うが特に男の人はまだまだ物珍し気に見られるのです。この前、この街で和服で歩いている女の人が居た。昔の銘仙の着物みたいでしたが襦袢の半襟は柄物、下駄に赤い足袋を履いていた。否定はしないが、お茶関係では半襟は白、足袋も白。その人はお洒落で来ているのだと分かっていながら、白の清楚な姿はやはり美人度を上げて居るし、好感がもてる。

我が家飯から
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鰤の霙煮・・美味しかった・・・簡単で大量におろしが出来る大根おろし器欲しい!
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サンチェの消化に・・納豆巻・・これ以外と美味しいです。納豆を普通にたれでかき混ぜてツナ缶を混ぜ、あとはサンチェで包んで戴く。

# by higashinuma | 2018-11-15 10:21 | 所感 | Comments(0)

飯後の茶事

30年11月14日 水曜日 晴れですが雲が多く寒い日です

昨日は午後から飯後の茶事をしたいと言う生徒が居て、簡略で試みた。と言っても朝は両手に荷物持ってです。
飯後の茶事は今読んでいる江戸時代の書に載っていて先月に読んだばかり。その項を抜いてみる。
「飯後 菓子茶ともいう 朝飯後は五つ半時昼飯後は九つ半ときいづれも菓子の茶也朝飯後は正午の茶会の邪魔にならぬよう昼飯後は夜はなしの邪魔にならぬように客の心得第一也」とある
この文の朝飯後の五つ半は今の午前九時頃、昼飯後の九つ半は午後一時頃でしょうか。朝茶は六つ時で午前六時頃から始めていたようです。飯後の茶事は跡見の茶事では無く、飯後の茶事として確立しているので朝茶や正午茶が終わってと言う事は無いのです。

教室には12時頃着いた。と言うか11時頃に着いて荷物を置くと昼飯と晩飯を買いに行って12時頃から教室に待機していた。月曜日の先生が今月は風炉で稽古しますとの事で炉を塞いで丸畳が敷いてあった。この畳を敷き替えないとならない。本畳のように重い畳で、生徒が来てから敷き替えようとそのままにして置いた。昼飯を食べ終わって、炭や灰を用意する。湿灰が足りないようで、灰造りをして、炭を出して置く。昼寝出来るかなぁと思ったが、横になって直ぐに生徒が来る。でも、この日は電車移動でかなり爆睡した。本当に眠いのは僅か数分なのです。

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歯花はブルーベーリーの紅葉と乙女椿の薄く色づいた蕾です。葉は5枚あるのですが写真では2枚しか見えないですね。
軸は達磨自画賛「一華五葉開 結果自然成」東福寺文浄和尚の染筆です
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迎え付けから
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初炭 一応炉開きによく使われる織部はじき香合を持参しました
続いて煮物と向付の膳
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箸が割りばしなのが何とも。「お吸い物にしました」「・・・・」「梅型人参にするなら紅葉にすれば良いのに」「型持ってない」「・・・」
向付は胡麻和えでした。まぁ模擬ならそんなものかな。やる事が大事!
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八寸は菖蒲蕪の焼いた物とひいかの煮つけ
そして菓子
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餡餅に塩昆布を添えて
続いて中立ですが「席を改めさせて戴きますがごゆるりとお過ごし下さいませ」
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濃茶・・蓋置注意・・美味しい濃茶でした
続き薄で
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こういう会を重ねれば茶事に慣れると思う。
亭主は勿論正客の会話が大事な要素になる。お詰めも挨拶が大事で席中の亭主のフォローと言う役もある。



# by higashinuma | 2018-11-14 09:58 | 茶道 | Comments(0)

茶道をとおして日々の流れをつづる