2015年 11月 12日
作家
最近読んだ本に小堀遠州の話がある。遠州が茶席の客と細川三斎を思い出して話す場面は、今、勉強会をしている古文の内容だった。先月に読み終わった内容なので記憶が新しい。この部分をコピーして生徒に回し読みして貰うつもりでいる。
作家って凄いなと思うのはこういう事がきちんと読み込まれている事。
作家自身は勿論読んでいると思うが、著名な作家なので多分アシスタントが例えば細川三斎で沢山の資料を集めて書き込んでいると思われる。
でも、ここに書いてある、遠州と三斎が不仲だと世間で噂になったなどと言う話は作家の構築ではないかとも思う。
この中にはもう一つ三斎の話が書かれていて、その内容も同じ古文にある。
この小説を要約すると、利休の自刃の折に、利休が秀吉よりの蟄居命令で淀川を下るとき、弟子の三斎と古田織部が密かに見送りに来たお礼として茶杓を送る。三斎には「ゆがみ」織部には「泪(なみだ)」。そして家康に謀反の疑いで切腹させられた織部のその「泪」の茶杓がその後どうした経緯で家康に渡ったかと言う内容です。
茶杓筒は織部が作ったとされ、四角な窓があり、織部は利休の位牌として毎日手を合わせたと伝わる。
それを読んで、作家と言う仕事の大変さを思った。「泪」の茶杓は利休が形見として遠州に送りそれが徳川美術館に収まっている事は、お茶を習っている人であれば、ある程度の方は知っていると思われる。しかし、その間に何があったかまでは発想が及ばない。そこに注目するのが作家なのかも知れない。
自伝的小説の多い、宮尾登美子は「クレオパトラ」も書いている。多分、世界一周の船に乗ってエジプトへ行かれたのがきっかけと思われる。私はこれを未だ読んだことが無いが、その名前だけは誰でも知っているだろうクレオパトラ、映画や歴史物で書かれつくした感があり、書くと言う事は容易ではない筈だ。西太后を書いた浅田次郎の「蒼穹の昴」は新しい発見があったし、膨大な資料を基に書かれた「西太后秘録」に近い内容でした。「蒼穹の昴」の方が出版が先。これらも凄い事だと感心するばかり。
先の本は遠州をめぐる人達を書き込んで連載しているので、次回が楽しみで、単行本の発行も期待されます。「孤逢のひと」葉室麟著 角川書店「本の旅人」連載
※「孤逢」とは「一艘の苫舟」の意で、小堀遠州が師事した春屋宗園から授かった号。
大徳寺塔頭「孤逢庵」は、黒田長政が創建した大徳寺塔頭、龍光院内に小堀遠州が江月宗玩を開祖として庵を建立。寛永20年(1643年)に現在地に移し、江雲宗龍(遠州の実子)が継いだ。その後、寛政5年(1793年)の火災により焼失するが、遠州を崇敬した大名茶人で松江藩主の松平治郷(不昧)が古図に基づき再建した。現住は18世小堀卓厳。(wikipediaより)