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つれづれ

瓦板の話

27年10月19日 月曜日 晴れ 24.1℃
気持ちよく晴れた朝です。富士山は薄く見えている。
来週予定していた勉強会が都合悪い人が多く、昨日に変更した。それでもお休み二人、午前だけ午後だけの人も居た。
午前だけの人に3科目の内、どれが希望か聞いてやはりいつもの書写から始めた。
漢字かなまじりの日常手紙文11月分、たっぷり一時間はかかる。毎月、来月分の書写をするが早いもので1年も来月で終わりになる。
私は手首を机に付けないと書けないが、浮かして書いている生徒も居る。短冊などを書くには浮かして書くので、凄いなぁと感心。最初は書き方とか運筆の方法を説明していたが、今は殆ど自習。
いつもより早めに上げて、次は短歌
今回は時間が無かったのでその場で選をする。私も気が付くこと多い。
未だ、言いたい事を全部言ってしまい余情が無い。難しいが日本画で言う余白の部分が欲しい。それにリズムが。基本は5、7、5、7、7。でも、初めて数か月ではやむをえまい。
で、午前中は終わり、昼食、呈茶
午後は古文の勉強。
今日は呂宋助左衛門の茶壺の話とか、瓦板の話。
呂宋助左衛門は本では助右ヱ門となっていました。利休等と同じ堺の納屋衆で、スペイン治下のルソン島に渡り、1594年(文禄3年)に帰朝。このとき舶載したのは唐傘・蝋燭・麝香、そして50個の真壺であった(『太閤記』)が、これらを豊臣秀吉に献上した。この真壺とは当時隆盛の茶の湯で最も珍重された「ルソンの壺」であり、国内での売り捌きには豊臣秀吉が関り、利休が目利きをして、納屋助左衛門には巨額の利をもたらした。のち、豪勢な暮らしが石田三成の眼に留まり、日本を離れ呂宋に渡り、その後カンボジアに亡命し、カンボジアの王家の庇護のもと、対日貿易の監督役 をつとめたと伝えられる。この呂宋壺の事でも利休切腹の一つの要因のようです。尚、呂宋壺として渡来の茶壺は「松花」の銘で徳川美術館に重美で残ります。この壺は村田珠光の時代の物で天下三名物の一つと称され、他の二つは本能寺の変で一個は本能寺、一個は安土城で焼失したとされます。呂宋壺と言っても安南交趾物と同じく、造られたのは中国で詳しくは呂宋経由で渡来という事です。
瓦板は紹鴎の弟子の堺、薪屋三次と言う者が紹鴎を招いた茶会で真四角な大平瓦を使った事で、感に入って、それまでは長板に載せた風炉を、長板を切って小板として風炉を載せたと言う内容です。
瓦板の話_b0197486_9202690.jpg

偶々、今月の中置は鉄風炉で敷瓦を使ったので、そういういきさつだったのかと分かりやすかったようです。

尚、呂宋助左衛門が秀吉に献上した品に唐傘がありますが、竹台子は村田珠光が桐板の上下に唐傘の竹からヒントを得たと伝わります。呂宋壺と共に唐傘はずっと古くから伝わったという事です。この話から、じゃ、日本では傘が無かったの?と言う質問がありました。日本は笠です。菅笠を思い描いてください。笠と傘の字があるのも面白いです。日本の笠も歴史は古いようです。傘は雨と言うより日傘が先のようで、貴人の物でした。中国の故事で昔太陽が10個あったという話も併せてみると時代が違うけれど話としては面白い。
ただ、呂宋助左衛門がもたらした傘は「ろくろ」式で以降、今のような傘になったとのことです。
# by higashinuma | 2015-10-19 08:22 | 茶道 | Comments(0)

おでん

27年10月18日 日曜日 晴れ もうすぐ午後5時 24.7℃
日暮れが早くなりました。5時にもなると灯りが欲しい。

さて、昨夜は「おでん」
大凡、夕飯の支度は18時になったら始めますが、
「「おでん」なんか簡単じゃん。ただ煮るだけだろ!」
「じゃ、自分でやれば!」
と文句言いながら作ったけれど・・・・
先ず茹卵を作りながら大根の処理。皮を剥いて、裏に十字の切り目。
茹卵が出来たら大根を煮る。この間、茹卵殻を剥く。大根が透明になってきたら、蒟蒻を湯通し。
大鍋に材料を入れて煮始める。竹輪とはんぺんは後で入れる。
それから米を炊く。
30分位煮て竹輪とはんぺんを入れてさらに煮る。ある程度煮たら火を止めて冷ます。そして食べるときもう一度火にかける。

かれこれ一時間はかかる作業。
おでん_b0197486_1781365.jpg

普通に美味しい・・・多分、倍量ならもっと美味しい。
揚げに餅をいれたり、卵を入れたのが好きですが、今回は買った中に餅入りがあった。
自分で作るほうが旨いと思うのだけれど、そこはそれ。

箸休めは納豆と
おでん_b0197486_17111336.jpg

もやしと厚揚げの煮物・・・🏇🏇🏇

おでん_b0197486_17122925.jpg

過熱してごまだれでと思ったんだけど・・・・
そのままでも美味しいし、デザート代わりに。
# by higashinuma | 2015-10-18 17:14 | 食事 | Comments(0)

雨の朝

27年10月17日 土曜日 雨 23.9℃ この気温になったのはこの秋一番の冷え込みと思う

「秋霖」という言葉があって秋の長雨を指す言葉のようですが、何故か物寂しい響きのある言葉で、昨日今日で雨は上がるようですが、昨日、バスで通りがかりに見た納屋のような農家の庭に咲く白い秋明菊は寒い雨に濡れて思わず「秋霖」を思い出した。

昨夜は、大根の残りと寒い!で「おでん」を煮る予定だったが、若がご飯要らないコールで家で火を使っていない事もあり、エアコンで暖房入れたい位に寒かった。遅く帰ったあいつは、朝、流しにコンビニで買って食べたらしい「おでん」の容器が置いてあった。

寒い日は何食べる?
やっぱり鍋でしょう?いや、煮込み料理?シチューでもカレーでも煮込みの一つ。
「ほうとう」や「煮込みうどん」これは名前が違うだけ?「味噌煮込みうどん」しばらく食べてないなあ・・・新宿に確か三国一といううどん屋があって、建て替える前はその雰囲気も好きで良く食べに行ったが、新しくなって一度も入ってない。なんとなく入り難い雰囲気なのだ少なくとも自分には。
鶏出汁の効いた八丁味噌に具は揚げと葱。鶏肉があったかどうかははっきりしないが、美味しい記憶は確かです。是は名古屋名物の一つです。
このうどん屋は全国の有名なうどん料理を出している。勿論、甲州名物「ほうとう」もある。
田舎で寒いときは何を食べていただろう?
「ふろふき大根」も温まる。多分、「納豆汁」だろうな?
東京でもたまに「納豆汁」があったりするが、田舎のは全然違う。食べるとほかほかして、吹雪のような夜でも良く眠れる。

話変わって、根菜は体を温めると言うが大根はその代表のような気がします。
生姜味噌の「ふろふき大根」もそうですが、大根の味噌汁でも温まる。
未だ、一本買いは無駄が出るが、美味しくなってきた大根は何かと重宝な素材です。

我が家の鶏大根から
雨の朝_b0197486_1114268.jpg

最近は唐辛子と八角を入れて中華風にしている。人参を入れたりアレンヂしながら結構定番に。
鶏は胸肉で煮込んで硬くならない工夫をしている。
胸肉は免疫を上げる素材。何しろ何千キロも空を飛ぶ活力にあやかりたい。ケージで育った鶏肉は知らないが・・・・
# by higashinuma | 2015-10-17 09:20 | 所感 | Comments(0)

パエリア

27年10月16日 金曜日 雨 25.0℃ 昨日の同じ時間より気温は高いが日差しがないので寒い。

パエリアの美味しいものを食べた記憶がない。店でも友人の家でもご飯が硬かったり、豪華な具が載っていても、どれもが今一。
昨日の夕食は自分でパエリアを作った。

ある酒造メーカーのキャンペーンメールを見て、ホームページに料理レシピがあり、眺めていて作ってみようと思った。材料は烏賊、鶏股肉、浅利を買えば他はそろっている。
やはり一番の心配はご飯がふっくらと炊けるかという事。

苦手な調理は玉ねぎのみじん切り・・・・冷蔵庫に入れてあるので冷たくしてあるのですが、目鼻に反応して、目が痛い、涙が出る、くしゃみが出る・・・・それに料理学校で習ったような切り方が未だ充分ではないので時間がかかる。どうしても粗みじん切りですが、今日の料理はそれでも充分。

最初に調味料を揃えておかないと忘れたりするが、今回は下ごしらえの塩胡椒以外はチキンコンソメ
だけ。オイル系はオリーブ油のみ。
ウィンドウズのバージョンアップで画面からのプリントができなくなったので、面倒だからパソコンを開いたまま、見ながらの調理。

下ごしらえができていれば、案外簡単。このレシピはフライパン一つで出来る。
パエリア_b0197486_7382847.jpg

出来上がったまま撮れば良かったが、焦げが心配で掻き混ぜた後でした。
それにパセリを散らすのを忘れました。
これは旨い!

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烏賊げそは腸和えに・・私は好きなのですがちょっと生臭い・・酒の肴に良い
レシピではげそもパエリアに入れていました。

パエリア_b0197486_743544.jpg

久しぶりにアスパラサラダ

二人分で米二合のレシピ。我が家は二食分。
烏賊は一杯ですが鶏股や浅利は適当。つまりスーパーの一パックを使用。
鶏股は親子丼等ように売っている細かく切ったものを使用。これ正解かも。
今度は魚介のたっぷり入った(大海老)の豪華な?ものを作ろうと思った。
# by higashinuma | 2015-10-16 07:25 | 食事 | Comments(0)

和歌の続き

27年10月15日 木曜日 晴れ 24.1℃ 富士山は見えない

昨日の薄器の説明をもう少し
井伊直弼の茶名は井伊宗観。「茶湯一会集」を執筆しその中に「一期一会」が書かれています。
宗観好み十二か月月次茶器は八代宗哲の手により、藤原定家の自選全歌集「拾遺愚草」の中巻に収められた「詠花鳥和歌各十二首」に題材を求めたものとされます。
さて、今回はその10月を使いました。
和歌の続き_b0197486_8173714.jpg

自分の物を写真撮ってなかったのでこれはネットで頂いた写真です。
蓋上には雲、胴脇には残菊と鶴が蒔絵されています。
花は「神な月しも夜の菊のにほはずは秋のかたみになにをおかまし」・・残菊
鳥 「ゆふ日影むれたつたづはさしながら時雨の雲ぞ山めぐりする」・・雲と鶴

秋といえば「鶉(うずら)」かと思うのですが、当時は鶴が多かったのでしょう。
藤原定家の父である藤原俊成の千載和歌集にある鶉の和歌は耳にしたことがあると思います。
「夕されば 野辺の秋風身にしみてうづら鳴くなり深草の里」
因みに十二か月の意匠はこんな感じです。
1月 柳竹に鶯 黒真塗大棗
2月 菫に雲雀 溜塗中棗
3月 桜に雉子 朱塗薬器
4月 卯の花に郭公 潤塗面中次
5月 橘に水鶏 黒刷毛目塗白粉解
6月 撫子に鵜飼 金林寺
7月 女郎花にカササギ 潤朱塗下張棗
8月 萩に雁 紅溜塗 八角茶器
9月 尾花に鶉 透塗平棗
10月 残菊に鶴 黒叩塗雪吹
11月 枇杷に千鳥 洗朱塗丸棗
12月 早梅に鴛鴦 春慶塗割蓋茶器

9月に鶉が取り上げられています。
今は鶉は鶉叩き「つみれ」などにして頂きますが、当時は鳴き声を楽しんだようで、鶴は懐石料理などにも出てくるほど食べられていたようです。

古文の勉強会の資料の中にも和歌は出てきますが、来年の予定はかな書と和歌を読み取る勉強の予定で、高野切第3種の本を渡しています。流麗なかな手本として取り上げています。
茶道と和歌は切っても切れない縁。興味がありましたら上にあげた「詠花鳥和歌各十二首」を調べてみてください。
高野切は古今和歌集を900年代の紀貫之が書いたと伝わる高野山の巻物を、後世1050年代に模写したものとされますが、最古のものとして伝わります。

※今日からwindows10に変更して使い慣れない・・・便利なところもあるが
# by higashinuma | 2015-10-15 07:33 | 茶道 | Comments(0)

茶道をとおして日々の流れをつづる

by higashinuma