27年6月6日 土曜日 雲が多いが晴 24.8℃ 寒いのか暑いのか着る物に困る季節です。こう言う時は体調も崩れるし、風邪をひきやすい。早い話、自律神経失調になりやすい。朝日を浴びるのが一番と思うのですが、梅雨季は太陽も出ない日が多いので、せめて早寝早起きと規則正しい生活を心する事かな。
花菖蒲が見ごろになりました。都内でも何箇所か見所がありますが正直言って、花の季節に見に行った事が無いように思う。
偶々、明治神宮で[「源氏物語でみる宮廷装束の雅]を開催しており、観に行った。ついでに菖蒲園も見学した。今となってはどちらがついでか分からないけれど、現地に着く迄は菖蒲の事は頭に無かったから、やはりそちらはついでです。
見頃を迎えているとあって、凄い人が出ていた。金曜日なので多くは外国人観光客。彼らの話声では英語圏よりも東南アジアの主にタイ語や中国語が多いように感じられた。
それから、ガイドが旗を持って案内する団体が何組も列を作る。大型バス、マイクロバスが多く駐車していた。
幸い、それら団体が入園して来た時は帰る時だったが。
この内園に入るのは忘れる位遠い昔の事。菖蒲園も有名でしたが、清正の井を見に行った?この時は菖蒲の花は見ていないような気がする。緑の季節だった?こうして記憶を結んでゆくと多分、メーデーの行進の後に会社の人達と行ったのではと思われる。
表参道から南参道を行き菖蒲園東門を入る。ここから菖蒲園まではかなり遠い。そして清正の井はこの池の一番奥にある。
木立を抜けると先ず南池が、とりどりの色で睡蓮が咲く。
鳥居を入って暫くは広い参道なので風が通り涼しかったが、東門からは山道状態で風が無く、蒸し暑い。池に出てほっとする。
更に進むと菖蒲の花が見える。紫を主に白や薄い紅、こちらもとりどりの彩。
※「うつせみの 代々木の里は しづかにて 都のほかの ここちこそすれ」
明治天皇がこのようにお詠みになりました御苑は、江戸時代初期以来加藤家、井伊家の下屋敷の庭園でしたが、明治時代に宮内省の所轄となり、代々木御苑と称され、明治天皇、昭憲皇太后にはたびたびお出ましになられたゆかりの深い名苑です。
苑内には隔雲亭(かくうんてい)、お釣台、四阿(あずまや)、菖蒲田(しょうぶだ)、清正井(きよまさのいど)などがあり、曲折した小径が美しい笹熊の間を縫い、武蔵野特有の面影をとどめている名苑です。
中でも明治天皇が昭憲皇太后のために植えさせられた菖蒲田の花菖蒲は、現在も大切に守り育てられ、6月には見事な花を咲かせます。
・・・・・明治神宮の案内から
そして清正の井戸
さて、ここから直ぐ出口がありますが、団体しか通さないと言う。
ここを出れば直ぐに御社殿があるのに、入口まで戻り、また、長い参道を御社殿まで歩かなければならない。
何故?団体は良いのに個人は通れない?受付で聞いたら「昔からそうなっています」との答え。
参拝者の便利より昔からの仕来りを守る事の方が大切なのだ。私からみれば、その出口でもなんら支障があると思えない。老人や足の不自由な人も大勢来ているのだから、そのような事は何故頭に無いのだろう。
もし、天皇だったらどうするだろう?万民のために恐らく解放すると思う。
で、仕方無く東門迄戻り、直ぐ前の文化館の展示品を観に行った。
徳川美術館の源氏物語絵巻から柏木の巻に描かれた光源氏の長子夕霧が身につけている装いを再現して公開したものでした。平安貴族の雅な衣装と明治天皇、昭憲皇太后のお召しになられた衣装が展示されていました。その中で「青色」は禁色と説明が有り、どうしても青色に見えない、山吹色のような色がそれである事が分かりました。
これを見て見て「青色」と判断出来るのは染色のプロだと思う。麹塵(きくじん)と言う麹に青黴の生えた色との事です。
・・・・この二枚はネットより。下は風俗資料館←ここは源氏物語の光源氏の六条邸を再現して展示しています。お薦め・・・前ブログあり。
他に室町時代前期の源氏物語写本の展示も・・是は明治神宮所蔵かな?そういう説明は無し。説明書きの押えに貝合わせを置くなどそれなりの見ごたえあり。
結構疲れたので、御社殿参拝と宝物殿見学は又、次の機会に。
※展示品の説明は難しい。一般公開は見学に来る人が専門家ばかりでは無い。何でもそうですが、平たく平たくが私の持論です。
おまけ
この日の富士山